ホテル海楽荘も、石や土砂がぎっちり詰まっていた

 なんとか真浦町にたどり着くと、確かに言われた通りの惨状だった。

 国道249号に堆積した土砂は、車がやっと通れる程度に取り除かれていたが、まだアスファルトが見えるような状態ではない。

 道路脇には、積み上げられた岩や土砂、大木が山のようになった場所もある。

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 どこを見ても泥だらけだ。

 ホテル海楽荘は、そうした中にあった。

ボランティアが大木を取り除くと、お土産コーナーは外が丸見えになった ©葉上 太郎

 奧にあったはずの物置が玄関の前まで押し流されている。旅館入口のサッシ戸はガラスが割れて、枠がくねくねと折れ曲がっていた。

 ロビーには分厚い泥がたまり、フロントも半分ほど埋もれている。

 土産品を置いてあったコーナーには、外壁を突き破って多数の大木が突き刺さり、ぎっちり詰まって穴を埋めていた。「おみやげ処」と染め抜かれた紺色ののれんだけがひらひらと風に揺れる。

ホテル海楽荘のロビーには分厚い泥が残された。お土産コーナーには壁を突き破って多くの大木が突き刺さった ©葉上 太郎

 16日前、取材がてら泊めてもらったのは、そこから廊下を進んだ奥の広間だ。地震で客室が被災して使えず、広間を4分割した“客室”に作業員らと分かれて寝た。だが、廊下には奥から流れて来た自動販売機や冷蔵庫が引っ掛かり、石や土砂もぎっちり詰まっていて、広間の様子などうかがうことすらできなかった。

ホテル海楽荘のロビー。フロントが半ば泥に埋もれていた。奥の広間へ向かう廊下には自動販売機が引っかかり、土砂でびっしり埋もれていた ©葉上 太郎

池田さんの妻がいた

「こんにちは」

 何度か呼び掛けると、池田さんの妻・真里子さん(69)が憔悴した顔で2階から降りてきた。

「こんな状態になってしまって……」。言葉がない。

「流された」と報じられた男性は、案じていた通り池田さんだった。

 遺体は被災から5日目に見つかり、DNA鑑定で本人と確認された。

泥だらけのホテル海楽荘のロビーで、四十九日の法要が簡単に営まれた。池田さんの近影は「流されてしまっただうから」と地震後に取材に来た東京の読売新聞記者が送ってくれたのだという ©葉上 太郎

 それでも「ただいまって、帰ってくるような気がして」と真里子さんは信じられない様子だった。

「泊まってもらった時に豪雨が起きなくてよかった」と真里子さんは言った。「布団を敷いた広間には、床上に高さ1.5mほど石や土砂がたまっています。もし寝ていた時だったら命はありませんでした」。背筋が寒くなった。

 あの日、2024年9月21日。何が起きたのか。