能登半島地震で甚大な被害を受けた能登町白丸地区。最大4.9メートルの津波が沿岸部を襲い、火災も発生した同地区だったが、その他の被災地と比較して、車両が通行できる最低限の交通路が切り開かれるまでのスピードは極めて迅速だった。

 現地を訪れ、海辺で作業していた男性に話を聞くと、その裏にはNGOによるボランティアの貢献が大きかったという。通常、道路を啓開するには、国や県が業界団体に依頼し、自衛隊や消防、警察とも連携しながら地元の土建業者が中心となり実施するという流れがあるが、なぜ民間団体であるNGOがいち早く命の道を切り開けたのか。

能登町内浦をはじめ通行が困難な箇所が数多くあった(2024年1月撮影)

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民間の支援がなければ災害対応が立ち行かない

 男性が話していた災害NGO“結(ゆい)”に話を聞いた。

 災害現場には、日本各地から様々な民間の支援団体が駆け付ける。結は、そうした支援団体の活動が円滑になるよう、サポートすることを得意としている。発災翌日の2日には能登町に入り、能登半島の先端に位置する珠洲市にも3日午前には到達したという。

 まずは現地で情報を収集して被害の全体像を把握。支援物資を運び込む団体や、重機を扱うなど技術系支援を得意とする団体と情報を共有し、調整役を担ったそうだ。

話を聞いた男性がNGOの方々に提供している屋内にあった貼り紙(2024年11月撮影)

 3日に支援物資を運んできたのは、九州の支援団体。いち早く道路啓開も始めたかったが、現場に至るまでの道路事情の悪さもあり、時間がかかった。重機を得意とする岐阜県の支援団体が現地で作業を始めたのは、5日のことだったという。

 機動性を重視し、物資や重機の運搬には2トン車や3トン車が使われた。こうした判断に活かされたのは、過去の災害現場での経験だ。支援団体が能登地区で最初に着手した道路啓開が、白丸地区の県道だった。

いち早く道路啓開に取り組めた能登町白丸地区(2024年1月撮影)

 そのほかにも、日本各地から多くの団体が駆けつけ、技術支援などを行っている。こうした民間の支援がなければ災害対応が立ち行かないというのが、災害現場の現状だ。

 私は話を聞きながら、2011年に発生した東日本大震災の被災地を訪れた時のことを思い出していた。