かつて投資家集団「誠備」を率いて株式市場を席巻し、最盛期には1000億円を優に超える資金を動かした、伝説の相場師、加藤暠。その人脈は福田赳夫や中曽根康弘、小泉純一郎などの大物政治家から高級官僚、大物右翼、暴力団組長にまで張り巡らされていた。

 ここでは、そんな加藤の生涯を追った『株の怪物 仕手の本尊と呼ばれた男・加藤暠の生涯』(宝島社)より一部を抜粋。大金を動かし、欲望の中心にいた相場師が、禅寺に通い始めたのはなぜか。ターニングポイントは、所得税法違反で東京地検特捜部に逮捕されたことだった――。(全3回の1回目/続きを読む

伝説の相場師、加藤暠

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兜町の風雲児

 JR長野駅からタクシーで15分ほど走ると、善光寺の裏手にある大峰山の中腹に「参禅専門道場 大本山・活禅寺」の白い建物が見えてくる。眼下には善光寺平を千曲川が流れ、その先に浅間山や志賀高原などを遠望する絶好の眺めが広がる。

 毎朝午前5時半から本堂で読経が始まり、その後は坐禅の時間が約1時間続く。泊まり込みで入行する者は、5時に起床し、水行を行ない、行衣で姿を現すが、通いの者は平服で集まる。坐禅は、無為の行であり、迷いを払わず、悟りも求めない心境で、身体と呼吸と心を調える。ただひたすら無心に座ることを意味する只管打坐は、禅に傾倒したアップル創業者のスティーブ・ジョブスらが実践した瞑想、そして日本や欧米のビジネスパーソンの間で人気のマインドフルネスのルーツとも言える。

 活禅寺は、高知県出身の開祖、徹禅無形が、仏教発祥の地であるインドに渡り、ネパール、チベット、中国、朝鮮で30年に及ぶ仏行を積み、1943年(昭和18年)2月に、この地に「無形庵」を開山したことが始まりとされる。1954年12月に宗教法人として独立したことを機に、寺号を大本山活禅寺に改め、どの宗派にも属さない坐禅の専門道場としての歩みを始めた。

 戦時中は軍の特務機関とも密接な関係にあった徹禅無形が、以前に訪れた中国・蘇州の名刹として知られる霊巌山寺と似た地形で、長野市街を眼下に一望できる環境だったことから、この地を選んだのだという。

 かつては元首相の中曽根康弘や参議院のドンと呼ばれた玉置和郎 、歴代首相の相談役と言われた陽明学者、安岡正篤の弟子から衆院議員に転じた林大幹、テレビ朝日の“天皇”と称された元専務の三浦甲子二などが姿をみせた。

 中曽根は約5年の首相在任中、東京・谷中の臨済宗の禅寺「全生庵」で毎週欠かさず坐禅を組んでいたことは広く知られているが、彼の坐禅の師匠の一人が、活禅寺の徹禅無形だった。中曽根政権時代の首相動静には、1985年に3回、「徹禅無形管長」が首相官邸や赤坂の料亭で面談した記録が残っている。1994年に徹禅無形が92歳で逝去した際、葬儀委員長は、長野県出身の元外相、小坂善太郎が務め、葬儀副委員長には林大幹が名を連ねた。

 彼らをこの禅寺に誘ったのは、かつて投資家集団「誠備」を率いて株式市場を席巻し、“兜町の風雲児”と呼ばれた伝説の相場師、加藤暠である。加藤は株式市場で投機的な売買を繰り返すプロの投資家グループ、仕手筋の本尊とされた。仕手筋とは能や狂言の主役を意味する「シテ方」に由来する言葉で、加藤は、文字通り株式市場の舞台で主役を演じる大相場をいくつも手掛けてきた。