かつて投資家集団「誠備」を率いて株式市場を席巻し、最盛期には1000億円を優に超える資金を動かした、伝説の相場師、加藤暠。その人脈は福田赳夫や中曽根康弘、小泉純一郎などの大物政治家から高級官僚、大物右翼、暴力団組長にまで張り巡らされていた。
ここでは『株の怪物 仕手の本尊と呼ばれた男・加藤暠の生涯』(宝島社)より一部を抜粋。加藤の死後、著者の取材に答えて家族の口から語られた人物像は、世間のイメージとかけ離れていた――。(全3回の2回目/続きを読む)
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「K氏の遺族に会ってみないか」
都内でも屈指のビジネス街の一角にあるタワーマンション。その高層階にある加藤の部屋を最初に訪れたのは2018年9月26日だった。
玄関から繫がる約25帖のリビングに足を踏み入れ、まず目を奪われたのは、所狭しと作り付けられた4つの大きな神棚である。一般家庭にある小さな神棚とは違い、大人の背丈を超える構えで、伏見稲荷大社の神棚のほかに、伊勢神宮と愛宕神社と熊野神社のそれぞれの御社が一セットになった神棚が部屋を圧迫するように祀られてあった。その間に浅草の待乳山聖天を祀った御厨子があり、離れた場所には出雲大社の御社が複数の御札とともに神棚の上に置かれていた。ベランダから東京タワーが見渡せる絶好の眺望とは打って変わり、厳粛で、異様な雰囲気を漂わせる佇まいだった。
しかし、この時、部屋の主だった加藤はすでに他界していた。彼は2015年11月17日に東京地検特捜部に相場操縦の疑いで逮捕され、東京拘置所で持病の糖尿病が悪化。保釈後に二度にわたって足の切断手術を受け、2016年12月26日に急性心筋梗塞でこの世を去った。
享年75。後年は一切取材を受けず、マスコミに対して口を噤んできたため、何度も“死亡説”が流れた。伝説だけが独り歩きし、その存在は謎めいていたが、皮肉にも34年の時を経て、加藤が再び因縁の検察当局と対峙したことで、瘡蓋が剝がれるように昭和の“遺物”が姿を現した。
「K氏の遺族に会ってみないか」
そう連絡してきたのは、加藤が遺した英國屋製の手帳に名前がある男だった。加藤が仕手の本尊として関わっているとみられる銘柄は、いつしか真偽不明の“K氏銘柄”と呼ばれて投機筋の話題にのぼるようになった。その呼び方に倣い、彼は時折、加藤のことをそう呼んでいた。週刊誌記者だった私にとっては10年来の情報源であり、年の離れた友人でもあった。彼が加藤と親しいことを知り、事ある毎に、「加藤に会わせて欲しい」と頼んできたが、「そのうち紹介する」と言ったきり、約束が果たされることはなかった。その罪滅ぼしの気持ちもあったのだろう。彼は時間をかけて加藤の妻、幸子と長男の恭を説得し、この日の面会を御膳立てしてくれた。