加藤の“最後の事件”では幸子と恭も逮捕され、幸子は起訴猶予となったものの、恭は加藤の死後に、懲役2年6月、執行猶予4年、罰金1000万円、追徴金26億5864万円の実刑判決を受けた。初対面の時は、一審判決後だったが、その後、高裁、最高裁でも判決が覆ることはなかった。彼は東京大学理学部数学科を卒業し、大学院で博士号を取得後は金融工学専門のシンクタンクや金融庁勤務などを経て、大阪大学大学院の助教として勤務していた。だが、事件によって学者の道は断たれた。
ボヘミアン・ドリーム
これまで二人がマスコミに登場したことは一度もない。幸子は常に影の存在として夫を支え、表に出る時はサングラスにオーダーメイドのセットアップ姿。固く口を閉ざし、決して周囲への警戒心を解くことはなかったが、「生前の加藤を知って貰いたい」と、時に懐かしむような語り口で過去を振り返った。部屋の神棚について尋ねると、彼女はこう話した。
「あの人は、朝は3時には起きて、お風呂に入って、自宅の神棚に手を合わせ、浅草の待乳山聖天様が開門になる5時半に着くよう迎えのクルマで出掛けるのが日課でした。そして読経と1万回のご真言を唱える生活を若い頃から毎日続けていました」
加藤は人一倍、信仰心が厚いことで知られていたが、加藤の部屋で目の当たりにした光景は想像以上だった。
その後は定期的に加藤宅を訪れ、リビングで長時間にわたって話を聞き、3人で外食を共にすることもあった。レストランでの会食では最初に「ボヘミアン・ドリーム」というカクテルを頼むのが、慣例だった。アプリコット・ブランデーにフレッシュのオレンジジュースやレモンジュースなどを加え、ザクロのシロップが少しだけ色付けに使われていた。
「主人は昔、学生時代にマンモスバーと呼ばれるところでバーテンダーとしてアルバイトをしていたことがあり、その時に作り方を覚えたそうです。ある時、自宅にホームバーを作ると言い出し、道具を揃えて、そこで私たちに作ってくれたのですが、上手く出来なくて、そのうちホームバーは、放置されていました」
社会の規範に囚われず、自由に放浪生活を送るボヘミアンが見る夢という名のカクテル。それは若き日の加藤が思い描いた未来だったのかもしれない。
「あの人は、世の中に誤解されてきたと思う」
幸子はそう吐露した。
「主人は母親を2歳で亡くして、幼い頃に広島で被爆しています。修道高校時代には結核で入院して療養生活を送り、4年遅れて別の高校を卒業しました。その時に病床で聴いた深夜ラジオで、身体障害者の子を持つ母親の『私が居なくなったら、この子はどうなってしまうのか』という投稿に胸を打たれ、『自分は一生懸命お金を儲けて、将来は社会貢献をしたい』と思ったことが原点にあるんです。株の世界ですから、売り手と買い手がいて、儲けた人がいれば、必ず損をした人もいる。だから、自分だけがいいという考え方ではいけない。常々そう言っていましたが、世間ではいつも一人だけ売り抜けているという悪者のイメージで捉えられてきました」
