政治家から大物ヤクザまで

「観音経には、火に焼かれたり、水に溺れたりして苦境に陥った時も、観音様を念ずれば救われると念彼観音力が説かれています。御老師様は、御経に書かれてあることはすべて事実であり、実現しなければ意味がないというお考えでした。刀尋段段壊は、敵が刀で切り付けて来ても、観音様を念じれば、刀が折れて身の安全が守られることを指しますが、御老師様は短刀で身体を切っても血が流れ出すこともなく、切れないことを実践してみせた。私たち弟子も、御老師様から法力を頂いて、傷だらけになりながらそれを行としてやっていました」

 徹巌は、加藤に招かれて東京を訪れ、稲川会の二代目会長、石井隆匡こと石井進とも会っている。彼は当時のことを鮮明に記憶していた。その時、加藤の事務所の奥には日本刀が置いてあり、刀剣に造詣が深い徹巌は「ちょっと見せて頂いていいでしょうか」と手に取り、紙に刃をスッと入れて切ってみせた。

「よく切れる刀ですね。これが切れなくなるということが信じられますか」

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「そんなバカな話がある訳がない」

 石井がそう答えた瞬間、徹巌は気迫を込め、日本刀を自分の腕に押し当て、力強く引いた。石井は驚きの声をあげ、「おい、やめろ」と必死に制止した。徹巌は正気を取り戻したかのように「これはあとで手入れして下さい」と言って日本刀を返した。その腕には血の筋は残っていたものの、確かに切れてはいなかった。徹巌が帰った後、石井は加藤に「なぜ切れないんだ」としきりに尋ねたという。

加藤と徹禅無形(左)

 石井は政財界に深く食い込み、“最強の経済ヤクザ”と呼ばれた大物だが、彼もまた加藤の大口顧客の一人だった。加藤は有力顧客を巻き込みながら神懸った力を背景に神秘性を纏うことで、得体の知れないカリスマであり続けた。誠備事件では、検察当局の調べに対し、顧客の名前を頑なに明かそうとせず、公判でも「そのために自分の無実が立証できず、有罪になっても仕方がない」と言い放った。政治家を始めとするVIPを守ったことで、一度は離れていた顧客たちがまた戻り、加藤の復活を望む声が広がっていた。そこから時代は狂乱のバブルへと突入していく。加藤にとって活禅寺は、“仕手の本尊”としての第二幕の出発点でもあった。

 当時の彼の人脈を解き明かすヒントとなる資料がある。加藤が残した深緑色のカバーの古い住所録――。1988年に銀座・英國屋が作った大判手帳で、あいうえお順に、手書きで名前と連絡先がビッシリと書かれている。そこには名立たる“バブル紳士”や東京佐川急便事件の主役たち、右翼やフィクサー、ブローカーまで加藤の人脈の中核を成す大物の名前がズラリとある。さらに加藤が保管していた名刺ホルダーには政治家や秘書、ヤクザの名刺が数多くあり、加藤の底知れないネットワークが際限なく広がっていた。

 本来は黒子に徹するべき仕手筋が、自ら“看板”を掲げ、旗を振る。そこに群がった顧客は、いち早く推奨銘柄を聞き出そうと逸る気持ちを抑えながら、加藤の言葉を待つ。加藤は銘柄選定の極意について、こう答える。「祈りだ」と。彼は、すべてを見通す“投資の神様”だったのか。それとも投資家を扇動する“時代の徒花”に過ぎなかったのか。

次の記事に続く 大物政治家やヤクザを稼がせ、1000億以上動かしたが…“伝説の相場師”の妻が明かした壮絶な生涯「身体障害者の子を持つ母親の投稿に胸を打たれ…」

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