加藤が組織した誠備は、全国に約4000人の会員を擁し、最盛期には1000億円を優に超える資金を動かした。「廿日会」というVIP会員は年間1億円の儲けを目標にする特別枠で、扱う株の銘柄については秘密保持が徹底されていた。そこには会社経営者や医師などの富裕層に混じって、主婦も少なからずいた。別枠には政治家や闇社会の住人もいて、鉄火場と化した株式市場には歓喜と落胆が交錯する幾多のドラマが生まれた。一攫千金を狙い、欲望が渦巻く相場の狂騒を誰よりも体現してきたのが、加藤だった。
禅僧の“法力”への羨望
しかし、加藤は1981年2月に所得税法違反で東京地検特捜部に逮捕され、権力の絶頂から刑事被告人として暗黒の時代を迎える。彼は東京拘置所に留め置かれた2年半の間、密教に興味を持ち、数多くの書物を読むなかで、禅密の奥義を究めた徹禅無形の存在を知った。
1983年8月に保釈された後、加藤は導かれるように、この禅寺に通い始めたという。加藤は徹禅無形から“泰山”の名を授けられ、活禅寺では「加藤泰山」と呼ばれていた。泰山とは、山東省にある中国随一の名山である。深緑を縫うように切り立つ岩壁の山肌に旧跡が点在する道教の聖地として知られる。秦の始皇帝を始め、歴代皇帝が治世を報告する場でもあり、孔子や李白、杜甫など多くの文人墨客も訪れた。1987年には世界遺産に登録されており、この名を気に入った加藤は後年に立ち上げた株投資グループに泰山の名を付けている。
「加藤さんは、この部屋で寝泊まりして、修行をなさっていました」
1935年生まれの活禅寺の和尚、高橋徹巌は、迷路のように複雑な造りの建物を奥に進み、古びた9畳ほどの和室へと案内してくれた。大きな窓から太陽の光が差し込み、日当たりはいいが、祭壇が設えてあるだけの殺風景な部屋だった。仙人のような白く長い髭をたくわえた徹巌は、憲兵だった父親が勤務地の朝鮮や中国で、巡錫中の徹禅無形と度々遭遇し、弟子入り。自然の流れで自身も仏縁を深めたと話し、徹禅無形のことを御老師様と呼んだ。そして加藤と過ごした日々を懐かしそうにこう振り返った。
「保釈された加藤さんは、旧三和ファイナンスの山田さんの仲介で初めてここを訪れました。山田さんは、加藤さんとも知り合いだった『日本話し方センター』創設者の江川ひろしさんの紹介で通うようになり、御老師様から“大圓”の名を頂き、山田大圓と呼ばれていました」
三和ファイナンスは1972年に北海道出身の山田紘一郎が創業。新宿に本拠を置き、全盛期には首都圏を中心に四百を超える支店を抱えたサラ金業者だったが、厳しい取り立てで知られていた。不動産事業やホテル事業にも手を広げ、のちに進出した韓国では、現地法人の三和貸付が“三和マネー”の商標で業界二位のシェアを獲得した。山田は2021年11月に亡くなっているが、その翌年には山田が築き上げた三和貸付が関連する1000億円もの資産を巡って、会社乗っ取りを画策したグループが山田の遺族に成りすます事件が発生。警視庁が摘発に乗り出す一幕もあった。
資産家として知られた山田は、かつて加藤の大口顧客の一人だった。加藤は時間を作っては山田らと活禅寺を訪れ、早朝からほの暗い水垢離場で身体を清めて参禅に励んだ。夏には、朝3時に起床し、10日間の修行で満願を迎える夏安居にも参加した。時には政治家や知り合いの証券マンを誘い、ヘリコプターをチャーターして長野市の最南端にある篠ノ井の発着場からクルマで北上し、活禅寺入りすることもあった。加藤は徹禅無形が持つ“法力”と呼ばれる不思議な力に強く惹かれていたという。
