「帰るガソリンも無いし、片道切符になることも覚悟して来た」
東日本大震災では、発災直後に石巻市内の避難所を訪れ、運営の主体を担っていたボランティアの方と少し話をした。
当時はガソリン不足が深刻で、福島第一原発も不安定な状態が続いていた。
そんな状況で埼玉県から駆け付け、避難所を運営していた方は「帰るガソリンも無いし、片道切符になることも覚悟して来た」と話していたのだ。それほどに重大な覚悟をもって被災地を訪れ、いわばプロフェッショナルな活動を展開するボランティアの方々が、以前から存在していた。
月日が経ち、民間団体の活動が進化している印象を受けた。
私たちはこれまでに、多くの自然災害を経験してきた。
阪神大震災や東日本大震災のような巨大地震だけではなく、台風やゲリラ豪雨による災害も頻発している。その度に、多くの人命が失われてきた。ご遺体が発見された現場では手を合わせ、数々の被災地を歩いてきたが、これほど悲しいことはない。
災害により、無念にも犠牲になられた方々に報いられることがあるとすれば、過去の災害を教訓として活かし、今後発生する災害による犠牲者を最小限に留めることではないだろうか。
今回の能登半島地震では、阪神大震災を機に設立された緊急消防援助隊の制度が活用され、全国の消防から救助隊が能登半島に向かった。
必要な機材を少しでも多く積み込むため、緊急消防援助隊の車両は低床の大型車が多いのだが、能登半島地震では、道路の状態が悪く、被災地の手前で足止めされる部隊が多かった。災害による道路状態の悪化など容易に予測されそうなものだが、霞が関の机上で考えられる施策は、現場では役に立たないケースもある。
東日本大震災で注目を集めた道路啓開だが、その重要性から全国に事前の計画策定が求められていた。しかし、北陸地方は未策定だった。もちろん復旧の遅れの要因を限定することはできず、様々な要因が絡み合うが、人命救助の目安とされる72時間以内における道路啓開が進まなかったことは事実。救助隊が到達できない地域もあった。