2016年4月14日夜と16日午前に熊本県で震度7を観測し、県内や九州各地での大きな揺れと甚大な被害を生んだ「熊本地震」から10年。地震で輪転機が止まりながらも、必死に新聞を人々へ届けた地元紙「熊本日日新聞」の被災1週間の記録「ドキュメント熊本日日新聞編集局」(月刊「文藝春秋」2016年6月号)より一部を特別に公開する。(全2回の2回目/年齢や肩書きなどは掲載時のまま)

情報を集める熊本市の消防隊員ら=4月15日未明、熊本県の益城町役場前

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町内の被害家屋の住所、生き埋め者など細かな情報が…

四月十四日(木)二十三時五分 益城町役場

 政経部デスクの奥村国彦(50)は、妻の運転する車から益城町役場に降り立った。役場にはかなりの数の町民が避難してきていた。

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 奥村は益城町にある自宅で激しい揺れに襲われた。倒壊は免れたものの、室内はめちゃくちゃになった。外出していた息子を妻と迎えにいこうと家を出るとき、ラジオのニュースで益城町が震源だと知った。本社からの指示は「十五日夕刊まで現地デスクを務めろ」。無事、息子と合流し、自分は役場で落としてもらい、家に帰る二人を見送った。

 役場の外にある駐車場の一角が非常用ライトで煌々と照らされている。どうやらここが「災害対策本部」らしい。防災服を着た多くの人間がいる。奥村と顔見知りの町役場職員の姿も見えた。二台設置されたホワイトボードには、町内の被害家屋の住所、生き埋め者など細かな情報が書き出されていた。本社からの応援部隊はまだ現場入りできていない。奥村は一人で取材を始めた。

十五日(金)二時三十分 益城町・馬水(まみず)地区

 崩れたブロック塀、倒れた電信柱、大きく亀裂が入った道路、押しつぶされた家屋。窓の外には、変わり果てた故郷の姿が広がっている。

 浪床は、被害が大きかった馬水地区を車で回っていた。強い余震が起こるたび、ハンドルを強く握りしめる。十五日朝刊の降版は一時頃に終わっていた。しかし、浪床は夕刊に向けた情報収集を続けていた。

 地震発生以降、益城町にある実家の両親とは連絡が取れていない。熊本市内に住む弟に両親の安否確認を任せ、仕事に向かうしかなかった。

 今回、自ら現場に向かったのは、少しでも両親の近くにいたかったからだ。浪床の父親は数年前に脳梗塞を患い、身体が不自由だ。最悪の事態が何度も脳裏をよぎった。それでも取材を続けた。救出される人、搬送される人。雑観をメモに取り、沢山の人に話を聞き、本社にデータを送り続けた。

 携帯が鳴る。弟からだ。車を停めた。「二人とも無事だった!」

 一気に全身の力が抜ける。今日の夕刊が降版したらすぐに会いに行こう。浪床は、車のギアを「ドライブ」に替えた。