2日連続の号外は前代未聞

 本社駐車場に着くと、印刷局の社員に交じって、見慣れないジャージを着た人が大勢いた。近隣住民まで避難してきているのだ。

 自家発電による黄色がかった薄ら灯りに照らされた編集局には、数名の当直の記者がいた。輪転機が、全体の三分の一である十万部弱を刷った段階で停止しているらしい。

 しばらくすると、丸野が到着した。すぐにヘルメット姿の印刷局の社員と何か話し込む。

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 続々と記者が集まってくる中、丸野が号令をかけた。

「いいか、みんな聞け。僕の机を境にして、こっち側は『昨日の地震班』。あっち側は『今日の地震班』」

 丸野は続ける。

「明日も号外いくぞ。分かっている分だけでいいから、今回の地震に関する情報を入れる」

 二日連続の号外は前代未聞である。指揮を執るのはもちろん山口。

「判型はどうしますか」

 山口は丸野に訊いた。

「これの二倍の大きさでいこう」

 丸野が提案したのは、通常の号外で使われる「ブランケット判」の二倍の大きさ。見開き四ページという分量の巨大なサイズである。山口はこんな大きさの号外は見たことがなかった。山口は編集幹部を集め、こう指示を出した。

「メインはグラフィックス。表は短い本記、裏は人の生死に関わる情報だけを入れるんだ」

「熊本日日新聞」本社外観とはためく社旗(熊日ウェブサイトより)

 テレビでは、さっきの地震が、十四日以降に発生した地震の「本震」であることを伝えるニュースが流れている。アナウンサーが無機質な声で「マグニチュードは七・三」と連呼していた。震源地はまたしても益城町の近くだった。

「取材に行くのは、夜が明けるまで辛抱しろ」

 十四日の地震以降、「震災報道統括部長」の任を与えられた社会部長の泉は、自席の横に設置されたホワイトボードに次から次へと書き込まれていく被災情報を睨んでいた。

〈熊本市内壊滅の可能性〉〈竜神橋が落ちた〉〈熊本城の宇土櫓が消失〉〈阿蘇大橋が崩落した〉……。

 大規模災害が発生すると、流言飛語が飛び交うことがある。泉は、真偽不明の情報に飛びつくことは危険だと判断していた。

「どこの被害が最も甚大なのか、情報を整理する必要がある。取材に行くのは、夜が明けるまで辛抱しろ」

 取材に飛び出したい気持ちは誰よりもよく分かる。しかし、待つことも大事だ。泉はじっと堪えた。

(文中敬称略、文責=「文藝春秋」編集部)

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