豊間小学校など一部の建物が浸水しなかっただけで、東日本大震災による家屋の全壊率が87%にも及んだ福島県いわき市の薄磯。大谷慶一さん(77)と加代さん(73)の夫妻は、当時92歳だった女性を連れて逃げようとしながらも津波に迫られ、握った手を放さざるを得なかった。他にも生死を分けるような体験をした夫妻は、語り部としてどのような教訓を伝えようとしているのか。(全4回の4回目/最初から読む)
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裏山のお堂で一夜を明かす
「ばっぱ(お婆さん)の手を放せ!」。92歳の女性を助けられなかった夫妻だが、ひとまず「天狗様」と呼ばれる自宅裏山のお堂に登った。石段を上がり、つづら折りの細い山道をたどった標高40mほどの地点だ。
にわかにかき曇って雪が降ってきた。お堂には鍵が掛かっていて開かない。慶一さんがガラスを1枚割ったが、大人が入るには狭すぎた。その場にいた小学生が中に入って鍵を開けた。
かつては毎月1日と10日に信者が泊まっていたので、石油コンロや布団が数枚あった。コンロに点火し、皆で布団に脚を突っ込んで、寒さをしのぐ。ここには最終的に49人が身を寄せることになる。
慶一さんは「津波に呑まれた人がいるはずだ」と明るいうちに山を下りた。案の定、津波が押し寄せた山際には流れ着いた人がいた。
「娘と一緒に逃げる途中で津波に呑まれ、つないだ手が離れてしまった女性もいました。見つけた時には虫の息で、行方不明になった娘ものちに遺体で見つかりました」と慶一さんは話す。そうした人を誘導したり、介助したりして、歩ける人には自力で「天狗様」へ向かってもらった。
一晩中「うーうー」とうなり声
2カ所で火事が発生した。風がなかったようで、煙は真っ直ぐに上がった。だが、瓦礫を見ていた時、突き出した板が揺れているのが見えた。「風もないのにどうしてだろう」と近づくと、下に車が埋もれていた。なぜ、揺れていたのかは今も分からない。
車は窓ガラスが開いていて、運転席で男性が気を失っていた。そこへちょうど3人の消防士が歩いて来た。協力して助け出そうとしたものの、シートベルトが固く締まっていてビクともしない。近くにカッターを持っている人がいた。職場で必要になって買いに出掛けたが、地震が起きて家族が心配になり、そのまま薄磯へ戻って来たのだという。シートベルトはこれで切ることができた。しかし、体がまだどこかに挟まっているらしく、なかなか運び出せなかった。かといってゆっくりしていられない。また津波が来たら水没してしまう。その場にいた人で「いち、に、さん」と呼吸を合わせ、力任せに引っ張り出すと、あまりに痛かったのか意識を取り戻した。
この男性は「天狗様」に上がることはできたが、一晩中「うーうー」とうなり声を上げていた。翌朝、駆けつけた消防団に担架で運ばれ、また気を失ってしまう。救急搬送されて入院した。もし一晩中、車に放置されていたら、低体温症で命を失いかねなかった。





