「警報が出ているのに遊ぶ若者」に危機感
薄磯は津波で壊滅したまちの区画整理が行われ、かつての面影がほとんどない。宅地は嵩上げや山の切り開きで造成され、「天狗様」も200mほど移転した。まだ空き地が目立っているが、「もう住みたくない」と帰って来ない人がいる一方、移住者が増えている。「地価が安いし、目の前の海でサーフィンなどもできますから」と大谷夫妻は口をそろえる。
そうした中で気になる出来事があった。2025年7月30日、ロシアのカムチャツカ半島付近を震源とする地震が起き(マグニチュード8.7)、福島県の沿岸にも津波警報が出された。しかし、薄磯の砂浜では警報をものともせずに遊ぶ若者の姿が見られた。薄磯に建てられた震災慰霊碑には犠牲者122人もの名前が刻まれている。「いわき震災伝承みらい館」のお膝元でもあるのに、夫妻はショックを受けた。
「記憶の風化は仕方のないことです。震災を知らない世代も増えています。そもそも津波を体験しなかった人との意識差は福島県内でもかなり大きいのが現実です。ただ、それにしても……」と慶一さんは語る。
「年に1度かもしれませんが、3月11日だけでも振り返ることには大きな意味があると思います」
「亡くなった人には責任がある」と語る理由
語り部を始めたのは知人に誘われて市の養成講座に参加したからだ。慶一さんは13年3月から活動している。仲間で「いわき語り部の会」を結成し、会長に就任した。2020年に開館した「いわき震災伝承みらい館」では定期的にメンバーの講話を行っている。
夫妻はあの日にあったことを率直に話す。「非情な体験」をし、だからこそ生き延びられた。「生と死が分かれるような現場ではきれいごとで済まない」というのが実感だ。だからこそ本音で体験を語ってきた。特に慶一さんは聞きに来てくれた人に鋭く問いかける。
「本当に重要なことは何か。15年が経過して形骸化しつつあるように感じます。例えば備蓄。差し迫った時に備蓄は役に立たず、手ぶらで逃げなければなりませんでした。『手には何も持ってはいけません。あなたの命だけを持って逃げて下さい』と伝えています。自分の命は自分にしか助けられないのです」
また、あえて「ここで亡くなった人には、それぞれに責任がある」という言い方もしている。「原因は逃げなかったことに尽きる」からだ。当然、「嫌な気がする」「失礼だ」という反応も出るが、「決して亡くなった人を冒涜しているわけではありません。私達は本当の原因を知らなければならないのです。これが語り部を始めた原点です。生き残った私は、亡くなった人のことを背負わなければなりません。だからこそ批判を覚悟でお話ししています」。
慶一さん自身、海を見に行くという「やってはならないこと」をした。が、そのために一瞬の差で助かったのかもしれなかった。
講話では「日常生活のいろんな場所で万一の時にどうするか、イメージトレーニングをしてください」と訴えている。「天狗様」に逃げられたのも、実は日頃からそうする夢を見ていたためでもあった。
命を分ける現場では、どちらに転んでもおかしくなかった。生き残った側が亡くなった人の分まで伝えなければならない。その使命感が、大谷夫妻を突き動かす原動力なのだろう。
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