東北地方の三陸沖で平成23(2011)年3月11日に発生した東日本大震災は、マグニチュード9.0と前代未聞の規模で、死者約1万5900人、行方不明者約2520人を出した。
火葬場だけでは遺体に対応できないと判断した厚生労働省は、3月14日、被災県に「特例火葬許可」を通達。「埋火葬許可証」がなくとも医師の死亡診断書や死亡検案書があれば、火葬や土葬が認められることになった。この埋葬の簡略化には、土葬の推進も含まれており、3月21日には東松島市内で自衛隊による土葬が始まったという。
ここでは、日本の火葬と弔いの歴史に迫ったジャーナリスト・伊藤博敏氏の著書『火葬秘史: 骨になるまで』(小学館)より一部を抜粋し、東日本大震災後に「仮埋葬」された遺体を掘り起こし、火葬を望む遺族の姿を紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)
◆◆◆
激臭と夏の防護服での暑さに耐える「掘り起こし火葬」
作業は5月7日午前8時から石巻市担当者の立ち会いのもとで行われ、その日は11体を掘り起こし、新しい棺に入れ替えて石巻斎場で火葬するまでの間、安置した。
重機オペレーターの号令と指示に従い、棺が見えた時点でスコップを使って角を出し、バールで起こしてベルトをかけ、片方を重機で上げて、もう片方にベルトをかけて吊り出した。
土圧によって棺は変形し、遺体は棺の中で血液と体液、雨水や地下水に浸かっている状態だった。激臭に耐えて、納体袋の水分を抜いた。基本的に全裸の遺体を清め、新たな納体袋に入れて、新しい棺に納める。そのうえで、遺体番号、墓標番号、個人名を貼り付けて、石巻斎場に搬送した。
作業は8月17日までの約3か月間に及び、「掘り起こし火葬」した遺体の累計は672体となった。清月記(仙台市内の大手葬儀会社)の社員たちは春から初夏を経て真夏に至るまで、防護服で汗みずくになりながら苛酷な作業を続けた。
「顔の状態は著しく腐敗しており、眼球は欠落し…」父親に遺体を見せるべきか躊躇したワケ
その日々は同社の『業務日報』に残されているが、「葬祭業者としての業務(責任)範囲」について思い悩む姿が率直に記されている。
《火葬炉に移動する前に、同世代の父親に「顔を見ることができますか?」と聞かれ、迷いながらもやはり見せることができなかった。昨日、上釜墓地で掘り起こした際に真新しいオレンジ色のランドセルを新しい棺に移し変えた子供だということは分っていた。しかし顔の状態は著しく腐敗しており、眼球は欠落し、髪の付いた頭皮がめくれ落ちている顔を最期に見せるべきなのだろうかと躊躇してしまった。原則、対面はできないことにしているが、それであっても父親の心情を考えると、果たしてこれで良かったのだろうか》
