「まさか屋内を水が流れて来るとは…」
真里子さんは「午前11時頃ではなかったか」と記憶している。夫妻で仕事の手を休め、降り方が強くなった雨をロビーで見ていたのだという。
「いきなりでした。旅館の後ろの方に止めてあった軽乗用車が、物置と一緒にダーッと表の方に流れて来たのです。驚く間もなく、廊下から大量の水が流れて来ました。まさか屋内を水が流れて来るとは思いもしません。私とお父さん(池田さん)は水流に転倒しました」
「廊下からの水」は奥の広間付近から流れて来たようだ。裏山からの土石流が、戸や壁を突き破るようにして浸入したのではないかと推察される。
海楽荘の裏山は深い。谷筋に垂水川が流れており、旅館の真横を通って海に注いでいた。この川からあふれた濁流と、谷筋を下って来た土石流が、一緒になって海楽荘を直撃したのだろうか。
「廊下から流れて来た水が小康状態になったので、私とお父さんは立ち上がりました。すると、今度は廊下からに加えて、土産物コーナーの壁を突き破り、2方向からガーッと流れてきました。2人とも外に流されてしまいました」
「お父さん、どこ」と声を張り上げた。
旅館の前は国道249号が走っている。これを越えるとすぐに日本海だ。
真里子さんは必死で何かをつかんだ。
国道の海際には公衆トイレがあり、周囲に設けられた柵だった。やっとの思いで立つ。
「お父さん、どこ」
声を張り上げた。近くに植えられた松の木に、体を押しつけられるようにして池田さんが耐えていた。呼び掛けに応えて、片手を上げた。
流れが少し収まりかけた時、真里子さんは松の木の方へ近寄った。
「あと10cmで手が届くというところだったんです。お父さんをつかもうとした瞬間、また鉄砲水に襲われました。お父さんは目の前で海へ流されていきます。私は松の木をつかむのに精一杯でした」
真里子さんは池田さんを追い掛けようとしたが、どうすることもできなかった。
水の勢いが弱まったすきに、腰までたまった泥水の中をズボズボと歩いて旅館に戻った。そして、土石流が起きた時にはたまたま2階にいた息子に「お父さんを見つけて」と叫んだ。が、水流はまた強くなる。川のようになった1階ロビーは歩くことさえできなかった。
かろうじて可能だったのは、海上保安庁に「流された」と携帯電話で通報することだけだった。





