昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

豊福 晋
2017/12/29

FCバルセロナの本拠地「新カンプノウ」を作る日本の建築家たちの挑戦

コンペの末に選ばれたのは日本の会社だった

 バルが並ぶ小道を通り抜ける。

 活気ある市場の声。路地のベンチに座る老人たちは終わらない昔話を続けている。明日のメッシになることを夢見る少年たちが、バルサのユニフォームを着てボールを蹴っている。

 バルセロナ、ラス・コルツ地区。

 外国人が急増した現在になっても地元色が際立つ、庶民のエリアだ。

 そんな昔からの飾らない一角にカンプノウは建っている。

 FCバルセロナのホームスタジアム。収容人数は99354人と、世界でも屈指の巨大スタジアムだ。

 カタルーニャ人に愛されたこのスタジアムも老朽化が進み、改修が決定した。コンペの末に選ばれたのは、日本の設計事務所、日建設計だ。

 欧州や米国の有名設計事務所ではなく、遠く離れた日本の会社が選ばれた時、街の人々からは驚きの声もあがった。しかし決定の翌日、すべての地元紙の一面を埋めた新カンプノウの完成予想図を目にしたファンはその美しさに魅せられた。誰に話を聞いても、出てくるのは完成を楽しみにする好意的な声ばかり。世界のどこでも、新スタジアム建設の際に必ず出てくる反対意見というものがほとんど見当たらない。

 
採用決定案。観客席は約10万5000に増える

 カンプノウ×日本の建築家たち。

 彼らはバルセロナの街に深く根付いたカンプノウを、どう変えようとしているのか――。

第一印象は「想像よりも小さい」

 ディアゴナル通りの一角に、日建設計のバルセロナ事務所はある。

 オフィスの窓から外を覗くと、夕焼けに彩られた街の片隅にカンプノウが見渡せた。

 新カンプノウ・プロジェクトの設計部長、勝矢武之は日々このオフィスで新しいカンプノウの姿を頭に描き続けている。日本とバルセロナを往復する多忙な日々だが、意欲と喜びが移動距離と時差を忘れさせてくれる。

 勝矢ははじめてカンプノウを目にした時、多くの人と同じ思いを抱いたという。

「想像よりも小さい、ということです。そしてとても街に馴染んでいるな、と」

 意外にもこのカンプノウというスタジアム、外観からその圧倒的な巨大さは伝わってこない。

現在のカンプノウ ©iStock.com

 世界には数多くの有名スタジアムがある。カンプノウもそのひとつだ。しかし、例えばミュンヘンのアリアンツ・アレーナやミラノのサンシーロのように、遠くからでも目を引くような、神々しい存在感を放っているわけではない。

 オールド・トラッフォードやサンティアゴ・ベルナベウのように見上げるような高さもなく、ラス・コルツ地区のバルや集合住宅など、周辺の景色にさらりと溶け込んでいる。この地の人々にとっては、そこにあって当然のものという感覚なのだろう。地区の教会や市場のように。

 設計チームが新カンプノウ改修において意識したのも、周囲に溶け込ませるということだった。

「例えば、アリアンツ・アレーナは、ミュンへン郊外という、周囲に何もない場所を考えると、あのデザインや色ははまります。しかしカンプノウが建っているのはバルセロナの中心部、何世代も前から住民が生活している場所です。そこに宇宙船のような未来的な建築物を置くと、確実に浮いてしまう。そうではなく、街並みに溶け込むことを考えて設計しました」

 勝矢がはじめてカンプノウを訪れたのは約10年前のことだ。ベンチにペップ・グアルディオラが座ったばかりの頃だ。昔からサッカーが好きだったけれど、自らの手でこのスタジアムを改修することになるとは、当時は思いもしなかった。

 それは設計メンバーの伊庭野大輔も同じだ。彼も生粋のサッカー好きで、現在も時間があればバルセロナで仲間とボールを蹴っている。

「基本的にこのプロジェクトに関わっているのは、サッカーが大好きな人ばかりなんです」と伊庭野はいう。

 彼らの言葉からは、サッカーへの愛情や、カンプノウを世界に誇れる最高のスタジアムにするという熱がまっすぐに伝わってくる。