数々のヒット作品を生み出し、世代を超えて多くのファンを持つ、漫画家でエッセイストの柴門ふみさん。今でこそ笑って話せますが、2010年に乳がんと診断された時は「感情がジェットコースターのように揺れ動いて大変だった」と、当時をふり返ります。死の恐怖と向き合った柴門さんは、どうやってその恐怖をコントロールされたのでしょうか(前後編インタビュー。#2も公開中です)。

柴門ふみさん

50歳になった節目に「念のため」と無料検診へ

──柴門さんは、50歳の時(2007年)にそれまで受けたことがなかったがん検診を受けて、がんの疑いがあると言われたんですよね。

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 3歳上の姉が40代前半で乳がんにかかったこともあり、50歳になった節目に「念のため」と軽い気持ちで区の無料検診を受けに行ったんです。

 そうしたら「がんの疑いがある」と、再検査になってしまって……。頭を木づちで殴られたあと、全身に冷水を浴びせかけられた気分になりました。姉は、乳がんを克服して転移もなく元気で生きているんですが、それでも「がん=死」というイメージが浮かんできました。

 

──再検査はどちらで受けられたんですか。

 親しい女医さんに連絡して、都内の乳腺専門レディスクリニックを紹介してもらいました。「早期発見なら9割以上助かる」と女医さんにも励ましてもらいましたが、落ち着かなくて。インターネットで乳がんの症状、治療法、生存率などを調べまくり、「リンパ節に転移していたら死ぬのかしら」「でも実姉は術後10年が過ぎた今もぴんぴんしているし」など、私の頭の中をいいことと悪いことがぐるぐる巡っていました。

再検査で「がんではない『何か』」の影が見つかった

──再検査の結果、「がんではない」との診断だったわけですが……。

「がんではない『何か』」の影は見つかったんですが、触診でもエコー(超音波)でも異常が映らず、MRIでも異常が見つからないので、これはきっと良性の何かだろうというお墨付きをもらいました。「しばらく様子を見ましょう」と言われ、診察は一応終了となりました。

──「がんではない何かがある」、という状態はモヤモヤしませんでしたか?

 私は手放しで喜んでいましたが、医師の先生は不満だったみたいです。年間1000人近い患者を診察し、「乳がんで亡くなる人をこの世からなくす」という高い志を持っている女医さんなので、理解できない症例が存在していることが許せないみたいでした。「念のため、1年に1回は検診を受けましょうね」と約束させられて、足取りも軽く帰りました。