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《千葉真一さん一周忌》「寂しさもあると同時に“ようやく兄貴から解放される”とほっとした…」木こりになった実弟(73)が抱え続けたスターへの複雑な感情と「ジージの森」に託した思い

前田満穂さんインタビュー#2

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木こりは里山の自然を守る仕事…死にかけたことも

――木こりですか。

前田 今は荒れてしまっていますが、千葉県には小さな里山がたくさんあって、昔はそこで薪や炭を作って生計を立てている人たちがいました。いわば、東京の燃料庫のような場所だったそうです。今も山の中に入ると昔の炭窯の跡が結構あるんですよ。僕はそんな里山の中で、自然に囲まれて育ちました。この里山に関わっていきたい、里山を残していきたいという思いがあったので、木こりという職業は憧れでもあったんです。知り合った木こりの方にお願いして、仕事の様子を見学させてもらったところ、木こりって木を育てる仕事なんだということを知りました。

――木こりと言うと、木を伐採して山の外に出していくイメージですが……。

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前田 実はそうじゃなくて、荒れている山を綺麗に掃除して、そこに杉やヒノキといった木の苗を植えて、大きくなったところで4メートル間隔で伐採して出荷する。そして切った後にまた苗を植えていくっていう、森のサイクルすべてに携わる仕事なんですね。すっかり木こりの仕事に魅せられて、千葉県森林整備協会という企業組合に所属して、40代に入ってから17、18年は木こりとして働きました。仕事は楽しかったのですが、何度も死にかけましたよ(笑)。

前田さん 撮影/平松市聖 ©文藝春秋

――危険を伴う仕事なんですね。もうダメかもしれないと思ったこともありましたか?

前田 一番危なかった時のことは、思い出したくないぐらい。15、16メートルくらいの崖に向かって伸びている木の根元をチェーンソーで切ったら、崖の方にザーッと流されてしまったんです。奇跡的に今切った自分の株に飛び移ったのですが、もう掴まっている以外、何もできない。「おーい! 助けてくれ!」って、仲間を呼んでなんとか助けてもらいましたが、あれは怖かったですね。

「ジージの森」に建てられたツリーハウス(左奥) 撮影/平松市聖 ©文藝春秋

木を切らずにすむには…との思いから生まれた「ジージの森」

――本当に命懸けのお仕事ですね。「ジージの森」を作られたのも、里山の自然を残したいというお気持ちからですか?

前田 もともと、東京ドイツ村には木こりとして木を伐りに来ていたんです。ここは山に囲まれているので、伸びてきてしまった木が邪魔になるからと。でも、ここまで育つのに何十年もかかったであろう立派な木ばかりだったんで、僕は切りたくなかった(笑)。切らずにすむにはどうしたらいいかを考え、ツリーハウスやブランコなどのアトラクションを作ることを思いつきました。企画書を書いて当時の副支配人に持って行ったら、「じゃあ前田さん、この木にツリーハウスを作ってみてくれない?」と言ってくれて。

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