千葉県袖ケ浦市にあるテーマパーク「東京ドイツ村」。その一角に「ジージの森」というアトラクションエリアがある。ツリーハウスやブランコなどのアスレチック、池でのザリガニ釣り、焚火が楽しめる。そんな遊び心あふれる場所を作ったのは、前田満穂さん、73歳。2021年8月に新型コロナウイルスによる肺炎で死去した俳優の千葉真一さんの実弟であり、自身も千葉治郎、矢吹二朗の名で1970年代に俳優として活躍している。だが、82年に芸能界を引退すると、人知れず地元・君津に帰り田舎暮らしを始めた。
千葉さんの死去から約1年。『仮面ライダー』や『ロボット刑事』といった人気ドラマに出演した元人気俳優が、スターとなった兄へ抱く複雑な心境と、地元で木こりとなった理由を語った。(全2回の1回目/#2を読む)
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戦争が終わると裕福な生活は一転、どん底の貧乏生活に
――千葉真一さんが亡くなって1年あまりが経ちました。千葉さんの晩年、おふたりの交流はあったのでしょうか?
前田 実は、10年くらい前にこの「ジージの森」ができた頃から、兄貴とは会っていなかったんです。兄貴と私は昔から感性や価値観が全く違っていてね。映画が好きという共通点はありましたが、目指す演技は違ったし、一緒に会社をやっていたときも金銭感覚が真逆で意見が食い違うことが多くて。これは離れた方がいいと思って、関係を絶っていたんです。
――前田さんは5人兄弟の末っ子で、長男の千葉さんとは10歳離れていますね。
前田 兄貴は戦中生まれで、私は戦後すぐの生まれです。うちの親父はテストパイロットで、戦時中はものすごく羽振りが良かったそうです。一回飛んで降りてくると高額のギャラが出るので、何十人も芸者を呼んで宴会をした。家は何軒か持っていたし、子供たちはなんでも欲しいものを買ってもらったとか。そういう環境の中で兄貴は育ったんです。でも、戦争が終わると生活は一転、親父は職を失い、一家はどん底に落とされました。
――そんな時に生まれたのが前田さんだったんですね。
前田 自分でいうのもなんですが、かわいそうな少年時代を過ごしました。子供ながらに、貧乏生活がつらくて、つらくて。僕が小学生の頃、家庭にテレビが普及し始めて、学校のアンケートで「家でテレビは何時間観ますか」と聞かれるのですが、僕の家にはテレビがない。それどころか、おもちゃだって買ってもらえなかった。それがすごく、屈辱だったんです。そんな僕にとって、唯一の自慢が兄貴の存在でした。
兄貴は18歳で体操選手として東京オリンピックを目指すため、日本体育大学へ進学しました。10歳も年齢が離れているので遊んでもらった記憶はほとんどないですが、休暇で帰ってくるのが楽しみで、嬉しくて仕方なかった。