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無い才能の、見切り方

駄目なことはすっぱり諦めて、良い中年になろう

2018/02/01

 この私も子供のころは、夢がありました。

 何って、電車の運転手になりたいとか。歌手になろうとか。

 年が経ち中学生になって、会社を経営していた親父に「エンジニアになりたい」と言ったら、あっさり「馬鹿野郎。エンジニアなんてものはな、金を払って雇えばいいんだ」と怒られました。そこから、長い長い反抗期と屈折した学生時代を送ることになった割に、結局は親父と同じような物事を金で解決する価値観になってしまったのは皮肉と言いましょうか。

 

「できることリスト」よりも「諦めることリスト」になっている

 いつ頃からでしょう、自分自身のことで夢を見なくなったのは。バブル全盛の高校生時代を過ぎると就職氷河期で社会に出され、証券投資をやりながらとりあえず就職、とりあえず起業……。思い返すと、自分で何かを成し遂げようというよりも、目の前のことをとりあえず乗り越えて前に何とか進んできた、そんな人生だったと思います。

 大会社の社長になって人の上に立つ器じゃないよなと思い、幸いにして家内と巡り合い家族に恵まれ、でも何者かになろうという気持ちはずっと長いこと持つことも無くこんにちまで生きてきました。もちろん、5年後はどうしよう、人生の設計をしようというのは考えます。でも振り返って、それが「できることリスト」よりも「諦めることリスト」になっていることに気づいたのはごく最近のことです。

 「深酒をやめよう」「自分の時間を犠牲にするようなだらだらとした人付き合いを減らそう」「やりたくない頼まれごとは請けずに仕事は選ぼう」などなど、人生における若さの喪失は、そのまま自分の可能性を削り取る作業に直結するのでしょうか。かつてはバンドをやり、イベントを企画したりしてましたが、いまや頼まれても、やりたくない作業は手掛ける気力がわきません。

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 思うに、得意でないことは好きでも続けられないってことなんでしょうか。気晴らしに将棋をしていてもネットで強い人に当たると乗り越えて勝とうとする気力以上にパソコンの電源を落としたい誘惑に駆られる。せっかく車を買い替えてもメンテナンスしたり自分で運転するよりは、カーシェアリングや派遣のドライバーさんにお願いしたくなる。歳をとるにつれてどんどん物臭になっていき、面倒くささが興味や好奇心を上回るようになると、自然と「したい」と思えることしか手掛けなくなるのです。