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原発事故で無人になった町でひとり、63歳男性がダチョウ、牛、ポニー、犬、猫と暮らす理由

原発事故で無人になった町でひとり、63歳男性がダチョウ、牛、ポニー、犬、猫と暮らす理由

『劇場版 ナオト、いまもひとりっきり』中村真夕監督インタビュー #1

2023/02/25
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食べるため魚を釣り、風呂はドラム缶。「福島のクロコダイル・ダンディーだな」と

――撮影する監督にも過酷な環境だったのでは?

中村 当時、富岡町の一番近くでギリギリ人が住めた「最後の砦」が、Jヴィレッジ付近の広野町なのですが、私はその広野町の飯場のようなビジネスホテルに泊まって、コンビニで水やお弁当を仕入れてから富岡町へ車で通いました。富岡町では上下水道も機能せず、この頃は本当に何にもありませんでした。

 私が行くようになった頃には電気だけは来ていたけれど、それ以前、ナオトさんはロウソクで暮らしていたとか。トイレは湧き水で流し、お風呂がわりに夏は川へ行き、冬はドラム缶で五右衛門風呂。食べるために川で魚を釣るんだけど、ほかに釣りをする人がいないから、鮎とかウナギとか、ジャンジャン釣れたそうです。

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 とにかくナオトさんは「どこでも生きられる人」という暮らしぶりで「福島のクロコダイル・ダンディーだな」と思いました。

――ナオトさんが動物の世話を始めたきっかけはご存知ですか?

中村 海外メディアでは「動物を世話するために留まった尊い人」みたいに語られていたんですけど、本人に聞いてみると「残ったら、たまたま周りに生き物が溢れていた」と。ご両親を避難させた後、自分は避難所で暮らすのも嫌なんで家に戻って、ふと周りを見たら犬や猫や家畜がとり残されて、お腹を空かしていた。それで餌をあげ始めたら、他に誰も世話する人がいないから離れられなくなっちゃった、ということだったみたいです。

 

「低線量被曝するよ」と言われ、少しばかり悩んだけれど

――監督ご自身、線量を測りつつ富岡町に通い続けることに不安はなかったですか?

中村 当時30代で、専門家からは「そんな年頃の女性が行っていい状態の場所じゃない、低線量被曝するよ」と言われて、私も少しばかり悩んだんですが、短い滞在でしたから。

 行ってみていろんな動物の生き死にを見たり、猫が仔猫を産んでるところに出くわしたりして、この動物たちは汚染された生き物かもしれないけど、命は尊いものであって「穢(けが)れ」みたいに扱うのはどうなのかな、と思いました。その一方で、ある意味「自分も穢れになってしまったんだな」みたいな気持ちもありました。

 ただ、そう感じるなら、広島や長崎で被爆した人々に対してはどう思うの? とモヤモヤして。やがてそういった混乱も、この取材の1つのテーマだと気づきました。そんななか、2015年にドキュメンタリー『ナオトひとりっきり』を公開すると、話題になり海外からも興味を持っていただきました。

 

――作品として発表した後も、ナオトさんを撮り続けたのですね。

中村 年に1回「桜の時期に」と決めて富岡町に通い、取材を続けてきました。夜ノ森の桜は有名だし、定点観測すれば変化がわかりやすい。それで、また次に作品としてまとめるなら、震災から10年を超え、東京オリンピックが終わるまでを撮ってからが区切りがいいだろう、ということになりました。