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原発事故で無人になった町でひとり、63歳男性がダチョウ、牛、ポニー、犬、猫と暮らす理由

原発事故で無人になった町でひとり、63歳男性がダチョウ、牛、ポニー、犬、猫と暮らす理由

『劇場版 ナオト、いまもひとりっきり』中村真夕監督インタビュー #1

2023/02/25
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 2011年3月11日に起きた東日本大震災による、福島第一原子力発電所事故。全町避難で無人地帯となった福島県富岡町に残り、動物たちの世話をしながら、今もたった1人で暮らすのが、松村直登(ナオト)さん(63)だ。

 そんなナオトさんの10年近くを追ったドキュメンタリー映画『劇場版 ナオト、いまもひとりっきり』が完成した。公開に先立って、富岡町に通い、ナオトさんや動物たちを撮り続けてきた中村真夕監督にお話をうかがった。

(全2回の1回め/続きを読む)

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ナオトさんと猫のシロ

◆◆◆

海外では有名なのに、日本のメディアには出ていなかった

――どんな経緯で、このドキュメンタリーを撮ることになったのでしょうか。

中村 震災の翌年あたりからテレビ局の番組で、被災地である宮城県の石巻や女川を取材していて、「じゃあ福島も」と思っていたとき、ちょうど海外メディアでナオトさんのことを知りました。ナオトさんは、海外ではけっこう有名なのに、日本のメディアにはまったく出ていなかったんです。

 当時の富岡町周辺は「避難指示解除準備区域」で、2013年の春になってやっと、午前9時から午後3時の時間帯限定で立ち入れるようになった。そのタイミングで取材を提案したら「健康被害があったら責任が取れない」と、局から断られてしまいました。「だったら私はフリーランスとして自己責任で行こう」と、通い始めたのが2013年の夏。当時、いわき駅から先は電車がなく、車で行くしかなくて、ペーパードライバーだったので、免許を取り直しました。

 

 ナオトさんは最初、私を含め日本のメディアには懐疑的でした。ナオトさんのことは海外では大きく取り上げられるんですが、日本では、大手メディアの若い記者が意気込んで取材に飛び込んでも、最終的に上から却下されてお蔵入りになってしまう。だからナオトさんは「結局、放送できないんでしょ」と言っていて。

 でも私が若葉マークをつけた車で1人で運転して通って来るのを見て、「大丈夫? ちゃんと運転して帰れる?」と心配してくれた。そんな私の無謀さに呆れたのか、数カ月後には受け入れてもらえました。

動物たちが住む町は「ディストピアだけど桃源郷」

――似た者同士の親近感ですね。ナオトさんを海外メディアで知ったというのは意外です。

中村 私が初めて訪れた頃の富岡町は、全町避難の町でした。国から退避しろと言われながら残っているナオトさんは「違法ではないけれど国の命令に従わない人」だから、日本のメディアでは取り上げたくても取り上げられなかったんだと思います。当のナオトさんは、自分の家にいるだけなんだし「悪いことしたのはオラじゃなくて国だべ」と言っていて。ナオトさんは、みんなが思っていても言えないことをズバッと言うのが面白いし、芯があるなと感じました。

 当時の町は自然の勢いがすごかったです。植物が溢れ、動物がのびのびしていました。私は海外でも暮らしてきたんですが、あんなに人がいない町を見た経験がありません。ディストピアなんだけど、ある意味、桃源郷でもあるような。

 

 ナオトさんの周りには、殺処分命令を受け入れない畜産家から預かった牛が40頭くらい、そしてポニーやダチョウまでいて、「シロ」「サビ」と名付けられた飼い猫もいました。その動物たちからまた、子どもが生まれて増えていきました。