《ヨーロッパに幽霊が出る――共産主義という幽霊である》(大内兵衛・向坂逸郎訳、岩波文庫版)という一文で始まる『共産党宣言』(ドイツ語版)が、カール・マルクス(1818~83)とフリードリヒ・エンゲルス(1820~95)の執筆によりイギリス・ロンドンで出版されたのは、いまから170年前のきょう、1848年2月21日とされる(ピーター・ファータド編『世界の歴史を変えた日 1001』荒井理子ほか訳、ゆまに書房)。これは前年の6月にロンドンで結成された国際的革命組織「共産主義者同盟」の綱領的文書として書かれたものだ。これまでの社会の歴史が階級闘争の歴史であることとプロレタリア階級の形成の歴史について叙述しながら、階級闘争による資本主義社会の崩壊と共産主義の実現を示した『共産党宣言』は、《万国のプロレタリア団結せよ!》(前掲)との呼びかけで結ばれていた。

左:フリードリヒ・エンゲルス ©共同通信社/右:カール・マルクス ©getty

 19世紀のヨーロッパでは、産業革命の進展にともない、さまざまな社会問題が生じていた。それを解決するため、社会主義の思想が台頭してくる。マルクスもまた1842年から翌年にかけてドイツ・ケルンで『ライン新聞』の編集人を務めるうち、社会問題への関心を深めていった。紡績工場主の息子で、英マンチェスターにある父の会社へ業務見習いに行く途中だったエンゲルスと出会ったのもこのころだ。その後、フランス・パリへの移住と追放を経て、新たな拠点としたベルギーのブリュッセルで再会したエンゲルスと『ドイツ・イデオロギー』(1846年)を著し、翌47年にはともに共産主義者同盟に参加する。

 共産主義者同盟は、綱領について検討する過程でマルクス・エンゲルスの思想を受け入れ、その起草を彼らに依嘱した。しかし、マルクスはなかなか綱領草案を書かなかった。そのため、エンゲルスが催促を兼ねて自分の草案を送り、その手紙で打ち合わせて二人でロンドンに赴くと、討論の結果、正式に依嘱を受け、主としてマルクスが執筆したと見られる(水田洋「解説」、講談社学術文庫版『共産党宣言・共産主義の諸原理』)。『宣言』は48年1月末にようやく書き上がると、大急ぎで印刷され、世に出た。

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ヨーロッパ全土への広がり、ソ連誕生――共産主義は一大ムーヴメントに

1848年に発行された『共産党宣言』 ©getty

『共産党宣言』の出版直後の2月22日、パリで2月革命が起こり、24日には国王ルイ・フィリップが退位した。替わって成立した臨時政府は共和政を宣言、男子普通選挙の実施も約束した。革命の波はヨーロッパ全土におよび、マルクスもこれにともない各地を転々とした末、翌49年にロンドンに移る。彼はそこでエンゲルスから援助を受けながら、死ぬまで亡命生活を送った。そのライフワークともいうべき『資本論』の第1巻が刊行されたのは、『共産党宣言』から19年後の1867年のことだ。なお、『宣言』の冒頭に出てくる「Gespenst」は、日本語では妖怪、怪物、幽霊、あるいは幻影などと訳される。共産主義というGespenstは、1917年のロシア革命をはじめ、20世紀の世界を大きく動かすことになる。