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「彼女の“千里眼”の方が上だ!」日本中から求められた千鶴子(23)だったが、40歳女性に話題をさらわれて…女たちの“超能力対決”の壮絶な結末

「彼女の“千里眼”の方が上だ!」日本中から求められた千鶴子(23)だったが、40歳女性に話題をさらわれて…女たちの“超能力対決”の壮絶な結末

「千里眼」事件 #2

2023/08/25
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 再実験は9月17日、旅館で行われた。18日付東朝の記事を要約する。

 実験方法は記者対象の15日と同様、学者らが書いた3文字の名刺のうち1枚を選んで錫の壺に入れ、箱に納めてひもを結んだ。余ったひもを切り、結び目に学者らが印を押した紙のこよりを結んだうえに紙を張って封印した。千鶴子は例の通り、精神統一して10分余りで透覚を終え、書いた3文字は「道徳天」。箱の壺の中の名刺の文字を見ると、当たっていた。

再実験で見せた千鶴子の“表情”

 記事の見出しは「十四博士の驚嘆 千鶴子の千里眼 實驗(実験)見事に成功」。同じ日付の東日は千鶴子の表情をこう記している。「福來は的中したことを千鶴子に告げたところ、彼女は安堵の思いだったように障子を開いて半身を現した。実父は白いひげをなでながら喜色を満面にあふれさせた」。

「実験中の御船千鶴子」と写真説明にあるが、新聞用にポーズをとったものと思われる(九州日日)

 東朝は9月18日付から連載を始めた「透覚の研究」の第1回で、参加した学者の感想を集めている。井上哲次郎は「実験で透覚の事実を確かめたのは甚だ喜ぶべきことだ」「科学で説明することは到底できない」と述べた。呉秀三は「心理学だけでなく医学、動物学、物理学などから研究しなければならない」「精神統一をすると、普段は働かない一種の不可思議な精神現象を呈して、何か分からぬ光線のようなものが、包んだ物体を通して目的のものと通じるのではないかとも思われる」とした。一方で9月23日付萬朝報には「私はまだ千鶴子を信じない」という田中館の談話が掲載された。 

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 立ち会った学者たちの反応はさまざまだったが、それぞれ衝撃を受けたことは間違いないようだ。「千里眼ブーム」のピークはこの年(1910年)の12月から翌1911年1月といわれるが、学術的に話題となったのはこのころがピークだったと思える。新聞の評論記事にも取り上げられるようになり、 12月10日付読売は「千里眼の影響」という論説で「この20世紀において特に発達するものは、自然科学よりもむしろ精神科学ではあるまいか」と述べた。

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