今回取り上げるのは、厳密には事件ではない。

 刑事事件となる要素も一部あったが、核心は“超能力”をめぐる大騒ぎだ。「金属などの中にある物が透視できる」「遠隔地の人や物が見える」「念じただけで字が書ける」といった“超能力”を持つとされる人間が次々登場。彼らは、遠隔地を透視できる能力を指す「千里眼」の名で呼ばれた。その“超能力者”と周辺の人々、さまざまな学者たち、そして新聞報道によって巻き起こされた一連の騒動とは――。

 当時は、日露戦争の勝利で沸き立った世情が落ち着きを見せない中、世紀の冤罪事件とされた大逆事件の捜査と裁判が進む一方、飛行機やエックス線といった科学技術が一斉に登場してきた。「坂の上の雲」の時代から下り始め、「大衆の時代」大正へと向かう明治末期、この騒動はどんな意味を持っていたのだろうか。今回も当時の新聞記事は、見出しはそのまま、本文は現代文に書き換え、適宜要約する。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。

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あらゆるものを透視できる、“千里眼”をもった女

 騒ぎの発端は1909(明治42)年8月14日付の東京朝日(東朝)に載った1本の記事。この年、韓国併合への動きが着々と進んでいた。

 不思議なる透見法 發(発)明者は熊本の女 木下博士の實驗(実験)

 前の京都大学総長、法学博士・木下廣次氏はこのほど井芹・熊本濟々黌長の紹介で、同校の舎監・清原猛雄氏の妹である河地千鶴子(23)を京都の自宅に引見。同女が研究・発表した不思議な透見法の試験をし、その心理的治療を受けること3回に及んだ。

 記事は、この千鶴子という女性の“能力”について、木下はこう語ったのだと続く。

「この透見法は、厳封した袋の中の物は言うに及ばず、鉱物や身体も透かし見て内容を探ることができ、患者の治療は神通自在の奇妙な療法だとの説明を聞いて招いた。

 まず密封した封筒に内田銀蔵氏の名刺を入れて彼女の手に渡したところ、彼女は別室で沈思黙座約5分。鉛筆をとり、封筒の上に正しく『内田銀蔵』と書きつけた。しかも、字画が正しく筆跡が確かで、実物と違わなかったのはとても不思議だ。

 治療を受ける際も同様。あたかも禅僧が精神を集中するような態度で患部をなで下ろすだけで、病気の方はさほど著しい効果を見るには至らなかった。家に招く前、自分が京都の住所を記入した名刺を、当時大阪にいた彼女に渡したが、彼女は年齢、容貌や患部などについて詳細に分かったという。とにかく奇妙というべきだ。彼女は年齢23歳というが、年より若く、口もろくろくきけず、学力はやっと高等小学校を卒業したぐらいだ」

「千里眼」をはじめて報じたと思われる東京朝日の記事

 木下廣次は法学者で旧制一高(現東大教養学部)校長、貴族院議員などを歴任。井芹という人物は井芹経平(いせりつねひら)で、33歳で濟々黌(現・済々黌高校)の校長に就任し、22年間務めた。2人は熊本出身で、その縁で井芹が千鶴子を木下に紹介したという。木下は初代京大総長に就任したが、長く肺を病んでおり、辞職して東京で療養していた。この記事の1年後の1910(明治43)年8月、千鶴子が世に知られ始めたころに死去している。