今回取り上げるのは明治時代で最も世間の好奇心をかきたてた「猟奇事件」。当時一般に広まったのは「美女に恋して結ばれたが、義兄ともどもハンセン病と分かり、特効薬として少年を殺害。肉を切り取り、スープにして義兄に飲ませた」というセンセーショナルな筋書き。さらにその義兄を毒殺。加えて金目的で薬店店主を殺したとされた。
裁判では少年殺しも義兄殺しも無罪に。店主殺害のみの犯罪事実で死刑に処された。しかし、その後も長く、それらは結び付けられて語られ、事件は「臀肉(でんにく=しりの肉)事件」とも「人肉スープ事件」とも呼ばれた。
不思議なのは、演歌師が事件を題材に歌って大流行した演歌が、運命に翻弄された純愛悲恋物語になっていたこと。時は日露戦争の戦勝に国民が沸き立ち、明治の「坂の上の雲」の頂点にあったころ。そんな隆盛の時代の人々に事件はどのように受け止められたのだろうか。
今回も当時の新聞記事は、見出しはそのまま、本文は現代文に書き換え、適宜要約する。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。
日露戦争の戦況を伝える紙面の傍らに、その記事は載った
「大海戰(戦) 大勝利 敵殲滅」(東京朝日=東朝)、「帝國(国)萬(万)歳」(國民新聞)、「大海戰大捷報」(読売)……。1905(明治38)年5月30日、新聞各紙の紙面には大きな活字が華々しく躍った。
前年2月に始まったロシアとの戦争で27日、海の最終決戦となった日本海海戦で日本海軍が予想以上の大勝利を収めたことが報じられた。各紙の同じ紙面の一隅にその記事は載った。内容は少しずつ違うが、比較的詳しい東朝を見よう。
恐るべき殺人犯の露顕
さる25日、(東京)府下多摩郡代々幡村(現渋谷区)字代々木93番地先に24歳前後の男がわら繩で首をくくって死んでいるのを新宿警察署員が発見。検視のうえ遺体は青山に仮埋葬したが、その当時、遺体の懐中に麹町区(現千代田区)麹町4丁目8番地、小西薬店と書いた薬袋が1枚あった。
問い合わせた結果、遺体は同店経営、都築留五郎(23)と判明。24日朝、麹町銀行から350円(現在の約131万円)を引き出して、その日正午と午後4時の2回、どこからかの電話を受けた後、その金を別の10円(同約3万7000円)と一緒に赤い木製のカバンに入れ、外出したまま帰ってこなかったことが分かった。新宿署は遺体を家族に引き渡し、各警察署に通知して捜査を始めた。