1905年に起こった「人肉スープ事件」。薬店店主の死体が発見された事件で、捜査上に野口男三郎という男が浮上した。当時の教養人・野口寧齋の死亡にも関わっていたのではないかと捜査が進められていく。

 それに加え、当時の報道からはさらに別の事件への関与も疑われていたことがわかる。事件の3年前に発生して迷宮入りになっていた「臀肉事件」である。少年が惨殺され、尻の肉がえぐられた状態で発見されたこの迷宮入り事件に、にわかに再び注目が集まっていく――。

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「少年殺しの凶行者が被害者の臀肉をそいだのはどんな必要があったのか。ある人の話では…」

 捜査が進められたが、問題は動機。翌30日付東朝はいくつかの見方を示している。

(1)物取りではない

(2)父母に疑いはない

(3)父母や本人に対する恨みではない

(4)別人と間違えて殺されたものでもない

(5)「色情狂」

 これらを挙げ、5つ目を「これが最も勢力を占めている」見方だとした。

 東朝は31日付の記事でも、「色情狂者」に加えて「ある者の身上に関する密事を知られたため(口封じ)」と「人肉を必要とする者に依頼された」可能性を指摘した。

 各紙は怪しい人物を次々書き立て、引致された「嫌疑者」もいたが、捜査はそれ以上に進まず、新聞は「(捜査は)五里霧中」と書くようになった。そんな中、時事新報が4月2日付で、グロテスクだが後から考えれば興味深い記事を掲載した。

「臀肉に関する迷信」の記事(時事新報)

 臀肉に關(関)する迷信

 

 少年殺しの凶行者が被害者の臀肉をそいだのはどんな必要があったのか、これが目下の捜査上の先決問題として、捜査陣が最も苦心して研究している点だ。ある人の話では、古来人間の脂肪は一種の興奮剤として特効があり、そして臀部とかかとの肉の脂肪は最も効験が著しいとの迷信がある。明治維新前には、ひそかに死刑執行人に内通して罪人の死骸の臀部とかかとの肉をそぎ取って薬用に供じた事実もあった。

 

 今回の事件もあるいはそれらの迷信に基づいているのではないか。少年のももひきを切り裂き、開いてから肉をそいだのをみると、あるいはその辺の目的ではなかったか、測り難いという。 

 立川昭二「日本人の病歴」(1976年)は「病気の中でハンセン病ほど病者の生活が悲惨なものはなく、病気の中で社会がこれほど激しい反応を示し、制裁を加えてきたものはかつてない」と指摘し、こう書く。

「不治の業病とされた癩(らい)病には、最も得難い人血・人肝・人胆が効くという信仰が、日本でも古くから根強く広がっていた」

 時事新報はさらに4月4日付で、人肉がハンセン病に効能があるという伝説が明治維新前からあるとして、漢方医と薬種店を当たれと提案した。

 しかし、警察、検察の捜査がその方向に向かった形跡はなく、その後も捜査は難航。時事新報は4月3日、功績を挙げた捜査員に金時計を贈呈する“得意”の懸賞を発表した。

 一時は父親にも嫌疑がかかった揚げ句、7月に入って同性愛者で常習窃盗の22歳の男が逮捕されたが、アリバイが認められ、事件は迷宮入り。人々の記憶から忘れられていた。

少年殺しで「嫌疑者」が逮捕されたが……(東京朝日)

報道に警察側から通告が…

 1905年に話を戻そう。読売の寧齋の訃報では「病苦」としか書かれていないが、寧齋がハンセン病だったことは周知の事実だったはず。それと迷信が重なり、男三郎逮捕の段階で少年殺しまでが捜査の視野に入っていたのではないか。