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  裁判長の尋問に対して男三郎は答えた。最も詳しい時事新報を基に要約する。

(1)少年殺し:実際は知らないことだが、(予審の取り調べには)ある事情があって(殺害と肉切り取りをやったと)申し立てた。実際はそのようなことはしていない

 

(2)寧齋殺し:実際には殺しておらず、翌日聞いた。予審で殺害を認めたのは、認めれば曾惠子が早く監獄から出ることができるだろうと考えて不実の陳述をした

 

(3)薬店店主殺し:金を持った富五郎と一緒に外出し、青山練兵場(陸軍の訓練場)を歩いていた時、ほかに通行人がいないのを見て、初めて殺害を決意した。突然後ろから頭のあたりに手で一撃を加えたところ、その場に打ち倒れた。そのまま立ち去ったが、そのままにしておくとまずいから何とか一工夫しようと、自殺を装うため荒縄を拾って現場に戻った。絞殺したのではない

 

(4)卒業証書偽造:外国語学校の先生に身の上話をして証書の作成を依頼した。自分が作ったものではない

「妻」への思いを述べた際、男三郎は「さめざめと泣くのである」と時事新報の「傍聽(聴)雜(雑)記」は記した。

初公判の法廷内(時事新報)

「やむを得ず虚偽を申し立てた」

 男三郎の言う外国語学校の教師は既に死亡していた。全体を見て、薬店店主殺しと卒業証書偽造は「怪しく」、少年殺しと寧齋殺しは何ともいえないというところではないか。陳述の中で語った「ある事情」についてはこう述べた。

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「監獄にいた時、歌代佐平太という者と知り合った。彼は野口家のことをよく承知しているので、相談して臀肉事件(少年殺し)についてうそを言った。

 警視庁の取り調べで肉体的な迫害を受け、苦痛を感じただけでなく、自分の命を惜しんで曾惠子と(2人の間の子どもの)君子に苦痛を与えるのはよくないので、この際、たとえ事実でなくても、まず(警察・検察の言う)事実に符合するように申し立て、一日も早く曾惠子、君子を救出しようと思い、やむを得ず虚偽を申し立てた」

絵入りで初公判を報じる東京朝日

 この「歌代」という人物についてはこう述べている。

「歌代は偽名で本名は大月正一。自分が彼の言葉を信用したのは、彼には山川大学総長ら著名な人から毎日のように差し入れがあったから。彼を信じて彼の言う通り申し立てるのがいいと思えた」

「山川」は山川健次郎・東京帝大総長。「続史談裁判」によれば、「歌代」はスパイで「前科数犯の窃盗犯人(既決囚)であるが、警視庁は奥宮検事正(奥宮正治大審院検事か)の命により、これを名士に仕立てて東京監獄から警視庁に連れ戻し、男三郎と同房させた」という。

当時、拷問やスパイが警察・検察の常套手段だった

 スパイは拷問と並んで当時の警察・検察の常套手段だった。同書には「歌代」には山川のほか、作家の徳富健次郎(蘆花)からも差し入れがあったとある。

「大月正一」も偽名で、当人は4月18日の第3回公判に参考人「鶴岡弘」として出廷。「刑事から『男三郎の様子を見てくれ』と頼まれた」と認めたが、裁判長に「玉」(スパイ)として使われたのかと問われると「むしろ警視庁とは敵の間柄。向こうも何で自分を信用するか」と否定した。

男三郎を「色魔」と呼んだ新聞も(東京二六新聞)

 その後の公判でも男三郎は同様の主張を続けた。新聞は時事新報を筆頭に毎回内容を詳しく報じているが、どうも法廷と新聞は、至るところで女性に近づき関係を持つ「色魔男三郎」(同年2月16日付東京二六新聞見出し)の言動と人間関係、ハンセン病と「迷信」の認識、文書偽造の経緯など、本筋と外れたところに力を入れているように思える。「劇場型法廷」だったのだろうか。

公判の実地検証では曾惠子の尋問も行われた(時事新報)

 この前後、各紙は競って曾惠子にインタビューした記事を載せたが、淡々とした中に、今後の生活を案じているのが印象的だ。