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判決が死刑か無期かで賭けが広く行われ…

 5月12日の最終第5回公判では、弁護人の代表格で足尾鉱毒事件、大逆事件などで有名になる人権派弁護士・花井卓蔵が寧齋殺しの弁論に立った。

「男三郎は、財を犠牲にして愛に力を尽くそうとする恋愛狂者」と定義付け、「犯罪の確たる証拠はついになし」として審理の中止を要求。最後に男三郎に向かって「天下広しといえども、こんにち被告に同情を寄せる者はおらず、わずかにわれわれ弁護人だけ。恋愛は神聖であり、恋愛に駆られた被告はその良心に訴えて真実の申し立てをしてほしい」と求めた。

 裁判長にも促された男三郎は「薬屋殺しは自分がした行為であり、なるべく重い刑罰を希望する」とだけ答えた。そして閉廷直前、「被告は突如立ち上がり『野口(寧齋)事件は全く自分が関係していないことだが、もし有罪と決まれば、死後寧齋氏に合わす顔がない。これが冥途への道の障害だ』と叫んだ」(5月13日付時事新報)。花井弁護士の弁論は計7時間に上ったという。

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 5月12日付東朝には、判決が死刑か無期かで賭けが広く行われ、外国人まで加わっているという短信が載った。

第5回公判で満員の傍聴席(時事新報)

裁判長の言い渡しに男三郎は破顔一笑して退廷した

 そして同年5月16日の一審判決――。「大疑獄の判決 臀肉切事件は無罪 寧齋殺事件は無罪 薬屋殺事件は死刑」。17日付報知は見出しで端的に伝えた。

 文書偽造・行使は有罪。少年殺しと寧齋殺しは証拠不十分とされた。詰め掛けた満員の傍聴人は新聞によって「460人」とも「五百余人」とも。記事本文はコンパクトな同じ日付の読売を見る。男三郎は正式に離婚が成立して「武林」姓に戻っていた。

死刑判決(読売)

 武林こと野口男三郎に対する判決はいよいよ昨日午前10時、控訴院刑事第3号廷で言い渡された。傍聴人はいやがうえにも詰め掛け、2~3名の外国人さえ交じっていた。9時25分、男三郎が入廷。日陰をたよる露の命と思えるためか、傍聴人の視線はことごとく男三郎の身に集中したが、彼は悪びれた景色もなく、護衛の看守と何事か私語を交わしながら片頬に笑みをたたえつつあったのは、「肉に生きず霊に生きる」と決心したように見受けられる。

 

 10時になり、今村(恭太郎)裁判長以下の係官と花井、齋藤(孝治)両弁護士が出廷、着席すると、裁判長は刑を宣告し、「不服または弁じたいことがあれば5日以内に申し出るように。裁判所は被告の陳述にいまだ事実でないところがあるように考えるので、控訴して十分陳述しなければ」と言い渡したのに、男三郎は破顔一笑して退廷した。

当時、被告は入退廷の際、編み笠を被らされた(時事新報)

「肉に生きず霊に生きる」という言葉には根拠がある。男三郎は獄中から徳富蘆花に「歌代佐平太は知り合いかどうか」と問い合わせた。返信で蘆花は「知人にそんな人はいない」としたうえで「腹の底より残りなく真実を述べられよ」「法の定むる所によって死に向かわれよ、肉に死して霊に生きられよ」と書いた(「続史談裁判」)。

 同じ5月17日付報知で花井弁護士が「裁判は穏当だった」と評価した通り、裁判長は男三郎から供述を引き出すために何度も声を掛けた。しかし、男三郎は法廷でも全てを明らかにしていない感触が確かにあった。

法廷でうつむく男三郎(時事新報)

 5月18日付時事新報の「死刑宣告後の男三郎」という記事によると、東京監獄署に戻った男三郎は藤澤(正啓)典獄(現在の刑務所長)に面会を求め「裁判所で薬屋殺しの罪で死刑の宣告を受けました。しかし、臀肉事件と義兄殺しの嫌疑が晴れましたので、心もせいせい致しました」と、満足げに長い間世話になった礼を述べたという。