〈父新吾はその日も活版会社で夜業を終え、午後9時ごろ、帰宅の途についた。下二番町35番地先の金貸業の家の窓の下の道路で、ねずみ色の二重回し(男性用の和装防寒コート)を着たやせ型の細長い顔の男が、路上に伏した少年の上にまたがり、自分もうつ伏せになっているのを見た。
しかし、夜でもあり、何をしているかは分からず、ただ転んで倒れたのを介抱していると思って気に留めずに行き過ぎた。それが自分の子どもが男に押し殺されているところだったとは……。〉
警部らが検視したところ「残酷なことは例えようもなかった」
〈家に帰った父は荘亮がいないので継母に事情を聞き、いま見てきた光景を思い出して急いでその場所に戻って見た。男も少年も姿はなかったが、いつも荘亮が履いている下駄が脱ぎ捨ててあり、付近を探したが見当たらないので大騒ぎになった。
近所の人たちも加わって捜索する一方、麹町署にも通報。巡査が出動して探したが見つからなかった。遺体は半町(約55メートル)離れた路地に運ばれていた。〉
〈麹町署の警部らが検視したところ、左のノドに幅5分(約1.5センチ)、深さ3分5厘(約1センチ)ほど、臀部左右の肉を直径3~4寸(約9~12センチ)ほど円形に削り取ってあり、その残酷なことは例えようもなかった。
しかし、ノドの傷は至って軽微なだけでなく、全く動脈を外れており、致命傷とすることはできない。同時に鼻血がおびただしく流れているのと、額に皮下出血があることから察すれば、加害者は最初道路で荘亮を組み伏せ、顔面を地上に押しつけつつ、その口に手を当て、ついに窒息死に至らせたのではないか。こうして圧し殺した後、遺体を抱えてほかに移して臀部の肉を削り取ったのではないか。
ともかく容易でない犯人であり、警官は直ちに非常線を張って加害者の逮捕に尽力すると同時に、東京裁判所へ報告。判事、検事の臨検を求めた。〉