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連載明治事件史

「難病に効くと少年を殺害し肉を切り取りスープに…」!?戦争の陰で起こった「人肉スープ事件」とは

「難病に効くと少年を殺害し肉を切り取りスープに…」!?戦争の陰で起こった「人肉スープ事件」とは

「人肉スープ」事件#1

2023/05/14
note

 臀肉事件の再燃 各事件の取り調べとともに、さる(明治)35年3月27日の夜、麹町区下二番町59番地、中嶋新吾の長男、(河井)惣助(11)が同町35番地先の往来で、何者のためにか圧殺され、しかも左右の臀肉を切り取られた事件も何らかの関係がないだろうかという説があるが、はたしてどうか。そうかそうでないかは今後取り調べが進むとともに判明する時がくるだろう。

尻の肉がえぐられた死体が…

 文中「惣助」とあるが、予審決定書と判決は「荘亮」としているので、以後はそれに従う、その3年前、1902(明治35)年3月29日付各紙にはこんな見出しが並んだ。

「麹町の少年殺し(臀肉を切り取らる)」(東朝)、「少年を殺して臀肉を抉(えぐ)る」(萬朝報)、「少年を虐殺し臀肉を殺(そ)ぐ」(東日)……。時事新報の書き出しは――。

少年殺しの第一報(時事新報)

 下二番町の少年殺し=死體(体)臀部の肉を削(そ)ぐ

 

(東京市)麹町区下二番町(現千代田区二番町)59番地、中嶋新吾の長男、河井荘亮(11)が一昨夜(27日夜)10時ごろ、同町35番地先の往還(道路)で何者かに圧し殺され、さらに死体を同町29番地の路地内に住む遠藤磐方へ運ばれて、臀部左右の肉を直径3~4寸(約9~12センチ)ずつそぎ取られた未曽有の椿事(大変な出来事)があった。

 記事は被害者の父のことを詳しく記述しているが、要約すると――。

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お使いに出た少年に何が…

〈父新吾は長崎県出身で、四谷区の活版業の職工をしており、結婚して荘亮が生まれたが、妻は荘亮が2歳の時に死亡。その後再婚し、京橋区の活版会社で働いている。

 荘亮は継母に育てられたが、仲はよく、荘亮は私立の小学校でも成績がよかった。体が弱く素直で、家の中にいることが多く、母が内職をしているタバコの口紙(フィルター)入れを手伝っていた。ほうびに毎日2銭(現在の約83円)ぐらいずつもらい、うち1銭5厘(約62円)を貯金するのを楽しみにしていた。

 3月24日は尋常小2年生の修業証をもらい、継母も喜んで、近くどこかの芝居に連れて行こうなどと話していた。27日は学校は試験休みで家におり、母の内職を妹と手伝っていた。

 夕飯後の午後8時ごろ、母と妹と近くの銭湯に行き、9時前に帰宅途中、継母から「玉砂糖(赤糖)を1銭5厘買ってきて」と言われた。2銭を渡され、近くの砂糖問屋へ走って行き、継母はそのまま帰宅した。〉