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宮崎駿作品で最も近いのは「カオナシ」…生き物ガチ勢が読み解く『君たちはどう生きるか』アオサギが超える“3つの境界”とは

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『失われたものたちの本』には「ねじくれ男」というキャラクターが登場する。異世界を支配 する強大な力をもつこの邪悪な男は、本作の実質的なラスボスと言って良い。変幻自在の「ねじくれ男」は(作中で明示こそされないが)鳥に変身することができ、現実世界を侵食する予兆としてデイヴィッドの前に現れる。その鳥が「カササギ」というカラスの仲間なのだ。

 そう、『君たちはどう生きるか』では、この「ねじくれ男/カササギ」に相当するキャラクターが「サギ男/アオサギ」というわけだ。「カササギ」と「アオサギ」の韻の踏み方に、「サギ=詐欺」という日本語ならではの言葉遊びも見て取れるし、実際『君たちはどう生きるか』には、「全てのアオサギは嘘つきだ」というパラドクスを巡る一幕がある。「嘘つき」は本作のアオサギというキャラクターを語る上でのキーワードになりそうだ。

 魅力的な動物のキャラクターが数多く登場する宮崎駿作品で、実は「鳥」のキャラは意外なほど珍しいのだが、いつかメインで「鳥」を描きたいと宮崎駿も考えていたのだろう。というのも、宮崎駿が最も影響を受けたアニメ映画のひとつが、フランスのポール・グリモー監督による 『やぶにらみの暴君』(1952)なのである(現在は改変バージョンの『王と鳥』が広く知られる)。

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 陽気で大きな鳥が登場し、独裁的な暴君の魔の手から少年少女を救う物語なのだが、『君たちはどう生きるか』のアオサギも、だんだんこの「鳥」によく似たシルエットや役回りになっていく。

 つまり『失われたものたちの本』の邪悪な「ねじくれ男」と、『やぶにらみの暴君』/『王と鳥』 の善良な「鳥」という、宮崎駿にとって最重要レベルの両作における両極端な「鳥」の、ちょうど「境界」にいるようなキャラクターが『君たちはどう生きるか』のアオサギと言えるわけだ。そして『失われたものたちの本』で、最後までデイヴィッドの脅威であり続けた「ねじくれ男=カササギ」と違って、『君たちはどう生きるか』の「サギ男=アオサギ」は、最終的には眞人の「友だち」になる。この決定的な差異こそが、映画『君たちはどう生きるか』の根幹にあるテーマでもあると思う。

宮崎駿作品で最も近いのは…「カオナシ」

 これまで語ってきたように「親和性と他者性」「死と生」「邪悪と善良」といった両極の境界にいる存在として、宮崎駿は『君たちはどう生きるか』のアオサギを描いた。そのキャラクター造形が、いわゆるマスコットキャラ的な可愛さとはかけ離れた、商業主義的な「大人の事情」をぶち破るような異形の迫力に満ちていたことも特筆したい。

©AFLO

   サギ男に流れるデザイン思想に、過去の宮崎駿作品で最も近いキャラクターは『千と千尋の神隠し』のカオナシではないかと思う。不気味で底知れなく、むき出しのドロッとした欲望を秘めており、気持ち悪いほどの生命力を感じさせる、対話不可能に思える「他者」……。そんなカオナシが、物語の終わりには、どこかシンパシーや愛着を感じさせる存在になっているという展開こそが、『千と千尋の神隠し』後半の展開を画期的なものにしていた。

 同じことが『君たちはどう生きるか』のアオサギにも言える。いかにも相容れなそうな「他者」であったアオサギを、いつしか眞人は旅を通じて「友だち」と呼ぶことになる。アオサギも映画の最後には「あばよ、友だち」と眞人に別れを告げて、その友情に応えてくれる。

 宮崎駿は、数々の不思議で不気味な、それでも愛すべき「友だち」を私たちに巡り合わせてくれた。そんな宮崎駿が送り届ける「最後の友だち」なのかもしれない、本作の最重要キャラクターがアオサギだったことを、鳥好きとしては嬉しく思わずにいられないのだった。

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