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ヤクルトファンは今、「どん底」の山田哲人をどういう気持ちで見つめればいいのだろう?

文春野球コラム ペナントレース2023

2023/09/12
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SNS上のトレンドで「山田哲人」の名前を見かけると…

 SNS上のトレンドで「山田哲人」の名前を見る機会が増えた。アクセスしてみると、そのほとんどが彼に対するネガティブなものばかりだ。最近では確認していないけれど、おそらく状況は何も変わっていないどころか、さらに過激になっているのだろう。今シーズンの成績を見れば、多くのファンがかなりのフラストレーションを溜めているのは間違いない。もちろん、僕自身もとてもストレスフルな日々を過ごしている。

 思えば、山田哲人は「手のかからないかわいい選手」だった。ルーキーイヤーとなる2011年、レギュラーシーズンでは一度も一軍出場がなかったにもかかわらず、中日ドラゴンズとのクライマックスシリーズでいきなり「1番・ショート」でスタメン出場、センセーショナルなデビューを飾った。このとき山田はまだ19歳だった。

山田哲人 ©時事通信社

あまりにもまぶしすぎた20代の山田哲人

 その後も順調な成長曲線を描き、14年には打撃が開眼、翌15年にはセ・リーグ優勝の立役者となり、トリプルスリー(打率.329、38本塁打、34盗塁)を達成する。このとき、山田はまだ23歳だ。この頃の山田は、本当にキラキラしていた。

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 この年の日本シリーズでは、福岡ソフトバンクホークスを相手に1勝4敗と完膚なきまでに叩きのめされた。しかし、神宮球場で行われた第3戦――。この日、山田は初回、3回、5回と3打席連続ホームランを放って、シリーズ唯一の勝利をヤクルトにもたらしてくれた。球場の片隅で「山田は末恐ろしい選手だなぁ……」と、まさに口をあんぐりさせてこの光景を見ていたものだった。

 翌16年にはNPB選手としては唯一となる複数回のトリプルスリーを達成。さらに18年には3度目を実現。もう、それだけでも球史に残る大選手であることは間違いないのである。初めてトリプルスリーを達成した15年オフには、「ミスタースワローズ」の象徴である背番号《1》を背負うことも決まった。山田は早熟の天才だった。

 このときの記者会見では、先代の背番号《1》である青木宣親がサプライズ登場を果たした。当時、メジャーリーガーだった青木と山田の夢の競演に、僕は心躍らせたものだった。山田は本当に輝いていた。カッコよかった、躍動していた。しかし、この頃の僕は「山田哲人」という球史に残るスーパースターを目の当たりにできることを当たり前のことだと勘違いしていた。「山田は打って当たり前」「トリプルスリーを実現するのは当然のこと」、そんな思い違いをしていたことに、僕はまったく気づいていなかったのだ。

山田の「実像」に気づくこととなった2020年シーズン

 遅ればせながら、山田の「実像」に気づくこととなったのが2020年シーズンだった。新型コロナウイルス禍に見舞われ、大幅に開幕が遅れ、無観客試合が行われていたこの年、山田は上半身のコンディション不良に苦しんでいた。それまで、何をやってもそつなく淡々と一流以上の成績を残していた山田が、この年はもがき苦しんでいた。

 そんなときに、彼は国内FA権を取得する。このとき僕は初めて、「来年からもう山田の姿を見ることはできなくなるのかもしれない……」という現実をリアルに実感することになった。正直に言えば、「来年はジャイアンツに行くのだろう」と、勝手に決めつけていた。シーズン終盤、「スワローズの山田を見るのは、残り数試合しかないのだ……」と寂しい思いで、入場制限が行われていた神宮球場に駆けつけたものだった。

 これまでに背番号《1》を背負った「ミスタースワローズ」は、若松勉、池山隆寛が「生涯スワローズ」を実現し、岩村明憲、青木宣親が「メジャー経由でスワローズ復帰」を果たしている。しかし、山田は初の「国内移籍」となるのだろう。しかも、宿敵・ジャイアンツに。僕は、そう確信していた。「来年からは、どんな気持ちで山田のプレーを見ることになるのだろう?」と困惑していた。いや、もっと言ってしまえば「山田のことを嫌いになるのかもしれない……」と不安を抱いていたのだ。

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