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独裁者になった習近平の「終わりかた」をいまから予測してみる

暗殺・クーデター・天安門の再来……いつか来た道か、それとも?

2018/03/19
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華国鋒パターン 平和的勇退

 毛沢東の臨終寸前に後事を託された華国鋒は、しばらく個人崇拝キャンペーンをやってみたりしたものの上手くいかずトウ小平に追い落とされ、1980年代初頭に要職から離れた。権力に恋々とせず自発的にポストを手放したことで、華国鋒の後世の評価は決して悪くはない(ただしズバ抜けて良いわけでもない)。

 近年も2012年の胡錦濤から習近平への政権移行にあたって、胡錦濤は留任も可能であった党中央軍事委員会主席を含めたすべてのポストを手放した。院政を図ろうとした前任者の江沢民がとは大違いというわけで、その引き際の潔さは一定の評価を受けている

 いっぽう、習近平の独裁化については、単なる権力欲が理由ではないという指摘もある。例えば、企業でいう「創業者一族」(紅二代)である彼が自分が理想とする形での党の立て直しを断行するため、経済政策の面で抵抗勢力となっている体制内の反抗分子を徹底して黙らせるため……といった仮説だ。

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習近平と妻の彭麗媛のプロパガンダ・ポスター。習近平の家族は今後も無事でいられるのだろうか。陝西省で筆者撮影。

 仮に習近平が「無私の人」だった場合、今回の独裁も彼自身のなかでは「時限制」であるという可能性は想定し得る。将来、自分の政治目標が一定程度まで達成されたところで身を引くとすれば、死後に家族が迫害される可能性もすこしは軽減できる。

 もっとも、華国鋒や胡錦濤のようなことをする気ならば最初から任期通りに引退したほうが穏便に話が済むし、これまで慣例的に確立されてきた党内制度を破壊してまでおこなうのはナンセンスだ。こちらはやや矛盾の多いシナリオだろう。

いつか来た道か、未知の領域か?

 過去の事例から予想されるシナリオをざっと見てきた。中国の長い歴史はダテではなく、また西側式の議会制民主主義体制の導入を拒む共産党政権はその権力のありかたに前時代的な要素を多分に含んでいるため、こと政治について現在と似たケースを過去(特に明清時代以降)から探してくるのは難しいことではない。

 ただし、現在と過去では決定的に異なる点もある。現在の中国は中産階層が数多く存在し、私有財産の概念も強ければ、都市部の市民を中心にそれなりの人権概念や人命尊重の意識も育っている。なにより、過去と違って国家・社会の混乱による経済への悪影響を恐れる意識が、官民ともに強く共有されるようになっている。

 経済発展のもとで中国の若者層には「草食系」の人が非常に多くなっており、文革式の大衆動員にせよ天安門式の学生デモにせよ、そこまで頑張ってやるとも思えない。加えて現代中国は強力なサイバー監視体制が敷かれつつあるので、特に学生デモは、それが簡単に起こせるような社会ではなくなっている。「第二次文革」や「天安門の再来」は、政治体制の面からは充分に起こり得ても、社会の側にそれを実現し得る環境がないと言える。

 ゆえに、この記事で紹介したなかで、今後の中国でも比較的容易に実現し得るシナリオは「習近平の暗殺・クーデター」、「親族の亡命・売国」、「上からの民主化」、「平和的勇退」の4つだ。ただし習近平の個性からして、後者の2つはまず選ばれない可能性が高い。

北京市内にあるエコとグリーンをテーマにした野菜料理レストラン。おしゃれでスタイリッシュな社会と、王朝時代以来の力の統治が複合しているのが現代中国の都市部だ。

 中国人の常識から考えれば、習近平のように無茶な権力闘争や独裁化をおこなえば、権力を失った瞬間に本人も家族もただでは済まないことは容易に想像がつく。にもかかわらず、彼は(いかなる理想や野心があるにせよ)なぜそれを恐れないのか? 率直に言って、私はこの点が何よりも腑に落ちない。

 本人や家族の生命の安全に配慮しない人物は、他人の生命にも配慮しないだろう。習近平の最も不気味な点は、まさにこの部分にあると考えていい。

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