3月11日、中国の国会に相当する全人代で憲法の修正案が採択された。結果、「国家主席、副主席の任期は連続して2期を超えてはならない」とする従来の規定が削除され、国家主席の任期の縛りが事実上消えることになった。

 改憲案では国家監察委員会の新設もうたわれて、従来の習政権が得意としてきた腐敗摘発(という名の超法規的な逮捕行為)などによる監督範囲が、今後は党員だけではなく国有企業の経営者や裁判所・公立病院・公立学校など国民生活の隅々にまで幅広く拡大される見込みだ。

 すなわち習近平は、理論上は生涯にわたり権力を握り続けることが可能になり、また意に沿わぬ相手をより簡単に葬り去れるようになった。1976年の毛沢東の死去以来、空前の権力を手にしたと言っていいだろう。

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 習近平「独裁」の目的については諸説あるものの、真相は第三者にはあずかり知れない。だが、今後、周囲がどう習近平を見て、どう遇していくかは明らかである。

 2月25日に改憲案が発表された後、微博(中国版ツイッター)では「わが皇帝」といった単語や、過去に中国で帝政を再開しようとした袁世凱に関係する単語が検索できなくなった。これは習近平を王朝時代の皇帝になぞらえて風刺をおこなうネットユーザーが一体数いたためだと思われる。

©時事通信社

 歴史は繰り返す。なにより、長い歴史を持つ中国では人々が過去の歴史をベースにして現在の出来事を解釈していく。今後は習本人の意向はさておき、周囲の人々は彼を毛沢東と同様の独裁者か「皇帝」そのものとして扱っていくはずだ。ゆえに結果的に、習近平政権の幕切れが過去の皇帝や近現代中国史の独裁者たちと似たものになる見込みも充分にあり得る。

 そこで今回の記事では、あと何年~何十年先かはわからないものの、現在64歳の習近平がどんな形で政権に幕を引くのかを大胆に予測してみることにしよう。ここでケーススタディの材料として挙げる過去の中国の独裁者は、毛沢東・トウ小平・西太后・蒋経国・華国鋒の5人だ。

 なお今回の記事の内容は、私が3月12日発売の『週刊プレイボーイ』No.13(集英社)に寄稿したコラムの内容に、さらに別の仮説を加えたものであることをお断りしておく。

毛沢東パターン 第二次文化大革命と暗殺・クーデター

 習近平が最も影響を受けた政治家は毛沢東だ。反日デモのような大衆動員型の政治闘争、自身への個人崇拝の容認、腐敗摘発(毛沢東時代は「資本主義化」)を名目にした政敵の強引な追い落としなど、習近平の政治スタイルは毛沢東に近い部分も多い。非常にベタな予想だが、習近平政治が毛沢東政治と同様の事態を招く可能性はしばしば指摘されている。

 絶対的な独裁者だった毛沢東の時代は、後継者問題が常に政争の火種になった。後継者を指名すれば、より将来性がある後継者側に人が集まってしまい、毛自身の権力が減るためだ。毛沢東は晩年まで自分が権力を握り続けることを望んだため、そのたびに大規模な政争を起こして後継者を叩き潰した。

 代表的なのは劉少奇の追い落としだ。1959年に国家主席となった劉少奇は、才能・実績・人格のどの面でも大物であり、やがて毛沢東はなかば引退同然の立場に追い込まれた。これに耐えられなかった毛沢東は1966年、文化大革命を発動。劉少奇を失脚に追い込んだ末に迫害死させている。

 劉少奇の失脚後に後継者になった林彪も、やがて毛沢東と対立。1971年にはついに毛沢東暗殺未遂事件(林彪事件)を起こし、失敗した林彪は逃亡中に死亡する。広義では1966年~1976年の10年間にわたり続いた文革は、大量の文化財の破壊や無実の人間の吊し上げを引き起こし、一説に犠牲者は数千万人、政治や経済に多大なダメージを与えることになった。

従来はタブーだった個人崇拝も進んでいる。写真は北京市内で筆者撮影。

 従来、中国共産党が国家主席のポストに2期10年の任期をもうけ、さらに就任の1期前から指導者候補を政権内に含めた集団指導体制を取ってきたのは、後継ルールが確立せず毛沢東個人が好き勝手をやっていた時代の反省を踏まえたものだった。だが、習近平は今回、それを壊した形になる。

 習近平が「毛沢東化」すればするほど、過去と同様の後継者問題に悩まされる。老いた習近平が権力に固執した場合、その解決法として「第二次文化大革命」のような激しい権力闘争が選ばれる可能性もある。

 なにより、いつまで経っても引退しない習近平にしびれを切らした下の世代が、往年の林彪事件さながらの暗殺や軟禁のようなクーデターを画策することは充分にあり得る話だ。