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「とりあえずチャレンジしてみろ!」僕に“奇跡の逆転満塁本塁打”を打たせてくれた西武・渡辺久信GMの考え方

文春野球コラム クライマックスシリーズ2023

2023/10/22
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 今季のライオンズはリーグ5位という悔しい結果に終わり、クライマックスシリーズの好ゲームを更に悔しい気持ちで見られたファンも少なくないのではないだろうか。

 僕、米野智人も元ライオンズ戦士として悔しい想いでいっぱいだ。

 しかし悪いことばかりではなく、ベテラン勢の存在感と健在ぶり、将来を期待できる勢いのある若手選手の台頭もあり、「来季こそは!」と前向きになれる場面も多く見られたシーズンだったと感じている。

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 どうすれば、ライオンズはもっと強くなれるか?

 そのテーマにもっとも向き合っている一人が、渡辺久信GMだ。

渡辺久信GM ©時事通信社

渡辺GMの“働き方改革”

 GM(ゼネラルマネージャー)という言葉は、アメリカのメジャーリーグに日本人選手が挑戦するようになったことでよく聞くようになったが、最初は「GMってなんだ!」と僕はよくわかっていなかった。

 改めて調べてみたところ、野球のGMというポジションの役割を簡単に言うと「いかにしてチームを強くするか!」「また、いかにしてその環境を作るか!」となる。

 渡辺GMが2019年1月1日付で誕生し、ライオンズはどう変わったのか? 最近、球団関係者の一人がこんな話をしていた。

「渡辺GMのスタンスは、『とりあえずチャレンジしてみろ! それでうまくいかなかったら、次にうまくやるための方法を考えよう』というものなので、球団職員たちがすごくチャレンジしやすく、働きやすい環境になりました」

 僕が“元選手目線”で見ると、グラウンドで戦っている選手たちが力を発揮しやすいように裏側で気を配り、望むことをできる限り叶えてあげようという考え方に映る。例えばFA権を獲得した源田壮亮、外崎修汰らがライオンズと長期契約を結んだが、選手たちも「ずっとライオンズでチャレンジしていきたい」と感じるのではないだろうか。

 特に今年のライオンズは「育成の西武」と打ち出したように、三軍も含めてファームから選手たちが台頭してくるように力を入れている。若手選手たちに思考法の研修を受けさせたり、コーチたちにはコーチング研修、ディレクターにはマネージメント研修の時間を作るなど、組織として球団を強くしようという姿勢を感じる。

 聞いた話だと、球界でここまで組織的に取り組んでいるのはライオンズくらいだとか。確かに目に見える成果が出ているとはまだ言えないかもしれないけれど、渡辺GMが“新たなチャレンジをする大切さ”を組織全体に浸透させている途中だと僕は感じている。

渡辺監督の第一印象

 僕自身にとっても、渡辺GMは新たなチャレンジをさせてくれた方だった。

 初めてお会いしたのは2010年6月、僕がシーズン途中にヤクルトスワローズからライオンズにトレードされたときだ。当時、渡辺GMは監督を務められていた。シーズン中の試合前だったこともあり短めの挨拶だったが、今でも覚えている。

渡辺監督「おー! 米野。よろしくな!」
米野「渡辺監督! 米野です。よろしくお願いします。頑張ります」

 もう少し話したと思うが、緊張していてあまり覚えていない(苦笑)。本当に短い会話だったけど、間近で見る渡辺監督は大きく、声も迫力があり、オーラが凄く、さすが元群馬のヤンキーは違うなと感じた(やめとけ! 怒られるぞ!)。

 それは冗談として、常勝西武の中心選手として大活躍されていた頃から知っていたので、「うわー! 渡辺久信だー!」と米野は野球少年時代に一瞬戻り、感激したことを覚えている。

 しかし、捕手として全く戦力になれないまま1年半が経った。渡辺監督と西武球団に申し訳ない気持ちと、このままだと来季は戦力外かもしれないという思いでいた2011年の秋季キャンプ。紅白戦で会心のホームランをレフトスタンドに打った試合後、光山英和バッテリーコーチに呼ばれた。

光山コーチ「よね! ちょっといいか?」
米野「はい!……(ん? なんだ? 何を言われるのだろう……)」
光山コーチ「お疲れ。ナイスホームラン」
米野「お疲れ様です。ありがとうございます」
光山コーチ「さっき渡辺監督と話し合いをしたけど、このままキャッチャーを続けるよりも外野で勝負したほうが一軍で試合に出られるチャンスがあると思うぞ。渡辺監督もそう伝えてくれと言っていた」
米野「え? あ、はい」
光山コーチ「どうだ? 思い切ってやってみないか?」
米野「はい! やります」

 予想外の内容だった。

 同時に嬉しさもあり、過去数年ずっとモヤモヤして霧がかかっているような気持ちで野球をしてきたのが、不思議と晴れやかな気分になった。

 こうして米野の新たなチャレンジの日々が始まった。

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