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「クマも人を襲いたい訳ではない」俳優・猟師の東出昌大がそう確信する理由

2023/11/16

source : 週刊文春Webオリジナル

genre : ニュース, 社会

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 俳優で猟師としての顔も持つ東出昌大(35)。全国でクマによる人身被害が深刻化するいま、関東の山で狩猟生活を送る自身の思いをつづった寄稿を公開する。

東出昌大 ©文藝春秋

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山の中でクマを想う日々

「クマも人を襲いたい訳ではない」。クマと酌み交わし本音を聞き出したわけではないが、山の中でクマを想う日々を送っているうちにそう確信するようになった。

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 元々日本の山には広葉樹が多く生えていた。広葉樹にはブナやシイなど、クマの主食となる堅果類があった。冬季には落葉し日中は太陽の光が地面に差し込むため、寒々しい冬山でも落葉広葉樹林帯を歩いている時は日向ぼっこをしているような暖かさを感じる。

 しかし、そんな森は少ない。戦後、日本人は復興に躍起になった。木材は不足し、高騰を続け、国は政策として「拡大造林計画」を推し進めた。結果、成長の遅い広葉樹を切り倒し、真っ直ぐに、早く伸びるスギやヒノキなどの針葉樹を植林した。クマは針葉樹を食べられない。倒木にたまに巣食うアリをほじくり返して舐める事はあるが、あまり腹の足しにはならない。

「いつかは伐採し、金に変わる」と希望的観測を持った人間の手でビッシリと植林された針葉樹林帯は、冬でも葉を茂られ、地表に降り注ぐはずだった陽の光を遮るため下草は生えず、新たな広葉樹の芽の発育を阻害する。私の住む地域の猟師は、昼でも真っ暗なその林を指差し「クロ」と呼ぶ。

 私の家の裏山には、石垣が段々に積まれており、戦前までそこは畑だった。今は太いヒノキが山頂まで数百メートル続く。なぜこんなに植林したのか、土地の権利者に話を聞いた事がある。「あの頃はもう山で仕事をするんでなく、都会に出て金を稼ぐのがこれからの時代だと思われてた。畑なんて持っててもしょうがねぇし、木を植えたんだなぁ」と遠い目をされる70代のオッチャン。しかし、植林を決断したのは、遥か以前に鬼籍に入られたオッチャンの親父さんだという。

 日本は高度経済成長期を迎え、一億総中流と言われるまでの栄華を誇った。経済活動のために都市部に若者が流入し、田舎は代々の土地を守るように高齢者が残り過疎化が進んだ。経済成長をひとしきり済ませ、バブル景気に浮かれた日本人は、建材になる木々を海外から仕入れるようになった。「そっちの方が便利だし安いから」と。山には放置された針葉樹林が、暴風になぎ倒されたまま冷たく横たわる光景が溢れている。

 以前は人が手入れをしていた畑は「もう野良仕事はしんどくなったし、人もいなくなっちまった」と、耕作放棄地として忘れられたように里山に点在するようになった。耕作放棄地は拓けており新芽が茂るため、野生動物がファーストフード感覚で下りてきて食べ散らかす。残ったおじいちゃんおばあちゃんが高さ2メートルになる獣害防止柵を自力で設ける事も不可能に思える。

 今、文春オンラインを読んでいる多くの読者が所謂「若者」だと思う。50代でも60代でも、田舎のご高齢の方々は「まだ若ぇ」と仰る。

 私たち若者は、安心安全が保障されたかのような都市部で人生の長くを過ごしてきた。ITのおかげで便利になり、明日配送されるであろうAmazonの商品を布団の上でゴロゴロしながら品定めしたりする。ふと、仕事のメールが届く。もう夜も遅いというのに。そうだ、SNSもチェックしよう。3分前に開いたインスタを見返しても、特に面白い事もない。何か面白い事ないかな~。ん? クマ? 人が襲われた? なんてこった!

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