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「私を生み出したお前達への、逆襲だ」遺伝子操作によって誕生→「優生思想」に陥ってしまった唯一のポケモン「ミュウツーの悲哀」

『親ガチャの哲学』より#1

2023/12/18

genre : ライフ, 社会, 国際

note

 もちろん、生殖細胞へのゲノム編集が倫理的な懸念を抱えていることは、当時の中国においても周知の事実でした。そのうえ賀は、この研究を行うために、倫理審査書類を捏造するなどの重大な研究不正を行いました。彼は中国国内では犯罪者として裁かれ、世界の科学コミュニティからも非難を集めることになりました。

 賀が起こした事件は、当然のことながら許されるべきではありません。しかし、ここであえてその理由を問い直してみましょう。いったいなぜ、ゲノム編集には問題があるのでしょうか。ゲノム編集によって呼び起こされる倫理的懸念とは、いったい何なのでしょうか。

 しばしば語られるのは、ゲノム編集には安全性の懸念がある、ということです。これは非常に大きな問題です。人間のゲノム情報は膨大かつ複雑であり、依然としてゲノム研究は発展途上にあります。いまは知られていない新事実が、将来において発見されるかも知れませんし、あるいは現在常識だと思われることが、やがて覆されるかも知れません。

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 つまり、現在の知識で行われたゲノム編集が、将来においても絶対に安全であると言い切ることはできないのです。たとえば、記憶力を向上させようとして働きかけたゲノム編集が、実は何らかの疾病に対する抵抗力を脆弱にする作用を及ぼしており、何十年も経過したあとで、本来だったら罹らなくてよかった疾病に罹ってしまう――そうした可能性も払拭できません。

 しかし、安全性に関する懸念は、研究の進歩によっていつか解決できるかも知れません。少なくとも、ゲノム研究が今よりも高い水準に達し、より高い確度で影響を予測できるようになれば、完全にリスクをゼロにすることはできなくても、許容可能な程度にまでリスクを下げることはできるでしょう。もしもそうなったら、ゲノム編集には何の倫理的懸念もなくなる、と言っていいのでしょうか。

 もう少し、踏み込んだ考察を展開する必要がありそうです。以下では、この問題を考えるために、『ポケットモンスター(ポケモン)」という作品を手がかりにしてみたいと思います。

ミュウツーの苦悩

『ポケモン』には、非常に印象的なキャラクターが登場します。遺伝子操作によって誕生したと言われるモンスター・ミュウツーです。その特徴は次のように説明されています。

ミュウのいでんしをくみかえてうみだされた。ポケモンでいちばんきょうぼうなこころをもつという。

 ミュウツーは、ミュウという名前の別のポケモンの遺伝子を抽出し、それを操作することによって人工的に作成されたポケモンです。研究者は、戦闘に特化し、凶暴な心を持ったポケモンになるよう、遺伝子を操作したようです。『ポケモン』の世界では、戦闘で圧倒的な強さを持つことは、非常に大きな価値なのです。実際に、ゲームのなかでミュウツーをゲットして対戦で使用すると、その強さに驚かされます。