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大滝詠一が振り返る山下達郎と出会った1973年「わが生涯、輝ける最良の年」「素敵な連中とあの時代に出逢えて幸せだった」

大滝詠一が振り返る山下達郎と出会った1973年「わが生涯、輝ける最良の年」「素敵な連中とあの時代に出逢えて幸せだった」

大滝詠一没後10年#1

2023/12/30
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若き山下達郎との出会い

 1月某日、大滝に依頼の電話をかけたときのことを大森が振りかえっている。

〈朝11時ぐらいだったと思います。コマーシャル・ソングをお願いしたいんですけど、って大瀧さんの自宅に電話をしましたね。『何でしょう』『三ツ矢サイダーです』。ちょっと間があって『分かりました』と〉(*4)

 電話を受けた大滝の頭には、このときすでにメロディが浮かんでいた。そしてCM曲を他にも手がけてきた作詞家、伊藤アキラが書くことになっている歌詞について、母音の“あ”から始めてほしいと注文した。

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〈あなたがジンとくる時は 私もジンとくるんです〉

 そう歌いだす、三ツ矢サイダーのCM曲「サイダー73」が誕生した経緯である。

 彼にとって初となるこのCM曲を皮切りに、大滝は大森の発注に応え、次々にコマーシャル・ソングを作った。

 そしてこの年の秋に、早くも7曲目となるCM曲「ジーガム」の制作に入った。

 三菱ラジオのCM曲だった、この「ジーガム」のレコーディングには、結成からまだ半年ほどの新人バンドが参加している。

 そのバンドは四谷のロック喫茶、ディスクチャートに集い、深夜にセッションを行っていた男女5人により結成された。バンド名は好きだったアメリカのロック・バンド、ヤングブラッズの曲名にちなみ「シュガー・ベイブ」とした。

 大滝は「ジーガム」について、〈大瀧CMに初めてシュガー・ベイブが登場した作品です〉(*3)と記している。

 プロデューサーの大森も、渋谷の小劇場ジァン・ジァンの地下スタジオで行われたレコーディングを回想している。

〈ジァン・ジァンのスタジオのシュガー・ベイブはいまでも覚えてますよ。狭いスタジオでみんなで顔を寄せ合ってコーラスしてましたね〉(*4)

 洋楽ポップスへの偏愛を隠さない、コーラス・ワークに長けたこのシュガー・ベイブで中心的な役割を果たしていたのが、当時20歳の山下達郎だった。

ワーナーミュージックHPより引用

 大滝と山下が出会ったのはこの1973年の夏のことだ。

 だがさかのぼれば、彼らの出会いの発端となるできごとが、大滝がまだはっぴいえんどで活動していた1970年にあった。

「その青二才、酒飲んで隣のオッサンにからんでンだ」

 “黒テント”と称するアングラ演劇の公演に、岡林信康のバックバンドとして参加した大滝は、その打ちあげである人物と遭遇した。