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「杉良太郎のままで死なせてください」本人が初めて明かした「二代目・長谷川一夫」指名の真実

時代劇界の舞台ウラ

2024/01/28
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能登半島地震の被災者の避難先に物資を持って駆け付け、自ら食事も振る舞ったことが大きな話題となっている俳優で歌手の杉良太郎(79)。長年の福祉活動などを通じて、芸能界から政財官界まで幅広い人脈を築き、その知られざる人間関係については月刊「文藝春秋」の連載で語っている。

杉は、日本映画界を代表する時代劇スター・長谷川一夫からも若い頃から薫陶を受けてきた。だが、杉が「二代目長谷川一夫」を打診されていたことはほとんど知られていない。本人が初めて明かす時代劇界の舞台ウラとは――。(聞き手・構成=音部美穂・ライター)

杉良太郎氏(本人提供)

 杉良太郎は、日本映画界を代表する時代劇の二枚目スター・長谷川一夫(1984年没、享年76)にも、若い頃から激励を受けてきた。初代中村鴈治郎に弟子入り後、銀幕の世界で活躍した長谷川は、映画『銭形平次』シリーズなどの代表作を持つ。ファンの間でその魅力の一つとされていたのが「流し目」だ。杉も同様に、「流し目スター」と呼ばれたが、この言葉に嫌悪感を抱いていたという。

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「後家殺し」なんて呼ばれてウンザリ

「流し目」は、どこか媚びを売っているようなニュアンスを含んでいるだろう? 加えて「中年キラー」だとか「後家殺し」なんて呼ばれ、しまいには「観客に媚びを売って、男の風上にも置けないヤツだ」なんて評されて、うんざりだった。実際の僕は真逆だからね。女性が隣に座るような店は苦手だし、つきあいでたまに行くことがあっても、「タバコの火ぐらい自分でつける」なんて言ったりするから、杉は生意気と言われる。もっといえば、仕事が忙しくて夜遊びする暇も興味もなかったというのが本当のところだ。

 それなのに、芸の良し悪しと関係なく、実像とかけ離れた虚像が広まっていく。葛藤し、長谷川先生に相談したことがある。そうしたら、昔は「流し目」なんて言葉はなく「目元が色っぽい」という表現だったと教えてくれた。「役者には色気が必要だし、出そうと思っても生まれつきのものだから出せるものじゃない。素晴らしいことじゃないか。客席やキャメラに向かって、一番いい顔を見せることが大切だと思うよ」。まさにその通りだと思った。

長谷川一夫が松尾社長に「杉良太郎です」

長谷川一夫 ©文藝春秋

 当時は、弟子であっても役者が役者に芸を教えることはまずなかった。でも、長谷川先生は僕に芸を教えてくれたことがある。公演のあと楽屋に来て、「怒らないで聞いてくれる? できればこうしてほしいところがあるんだけど」。僕が「是非、聞かせてください」とお願いすると、「あの場面、左手の刀を右手にこうふって持ち替えてくれない?」。僕が感動しながら「ありがとうございます。明日からそうやります」と答えると、「そう、ほんとに。やってくれるの? ごめんね。良かった。嬉しい」と言ってくれた。

 その後、長谷川先生の公演を見に行った時、楽屋にお邪魔したら「せっかく来てくれたんだから、煙管の持ち方を教えるね」とその場でパパパッと7つほどの持ち方をやってみせてくれた。目を皿のようにして凝視したけれど、一瞬のことだったから2つしか覚えていない。悔しくて、その晩は眠れなかった。先生の長男で俳優の林成年(なりとし)さんにこの話をしたところ、長谷川先生は「あんなに早く何通りもやったことを覚えられるわけがない。それで一晩眠れなかったの。えらいねぇ、杉ちゃんは」と言ったそうだ。

 なぜ芸を教えてくれたのか。長谷川先生の心を知ったのは、先生の晩年だった。この頃、「二代目長谷川一夫」を誰が継ぐのか注目が集まっていた。関係者の間では二代目は大川橋蔵さんではないかと目されていたけれど、長谷川先生は自分の思いを語らないので腹の内がわからない。それで、新歌舞伎座の松尾國三社長が先生を自宅に呼び、「二代目は誰だ」と尋ねたそうだ。そのあと、松尾社長からこう聞かされた。

「長谷川は黙っていた。『橋蔵か』と聞いたが、長谷川は首を横に振る。重ねて『誰か』と聞いたら長谷川は『杉良太郎です』と。わしは嬉しくて、びっくりしてすぐお前に電話して、来てもらったわけだ。杉。長谷川が二代目に杉を指名してくれた。どうだ。嬉しいだろう」

時代劇の大スターだった長谷川一夫 Ⓒ文藝春秋

 僕は黙っていた。松尾社長は重ねて「嬉しいだろう、杉。あの長谷川が二代目と言ってくれて」と言ったが、僕は「僕が改名して二代目長谷川一夫を名乗れば、お客さんは入りますか?」。松尾社長はぽかんとした顔をして「嬉しくないのか」。僕はすかさず「杉良太郎のままで死なせてください」と言った。

 僕は二代目について長谷川さんから直接聞かされたことはないけれど、もしかしたら、先生は自分の芸を少しずつ分けてあげようという気持ちだったのかもしれない。