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佐藤愛子100歳“ぼけていく私”「余計なことを考えないで生きていると、なかなか死にません」

2024/03/21
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物書きになれたのは、個性を削らなかったから

 物書きっていうのはね、どう思われても構わない、という境地にいかなきゃだめなんですよ。そうでないと、真実に迫れない。いい文章を書こうと思ったらだめ、自然に出る文章でないと。

 だいたい私は、自然体を人に見せる生き方しかできないんですよ。女学校のときも変わり者でした。仲良くクラスに溶け込むためには、個性を削ったり抑えたりするでしょ。それをしないからね(笑)。

 先生に何か文句を言ったりすることがあっても、みんな抑えなきゃいけないって思いますでしょう。それをズケズケ言ったりしていました。それを個性にしてしまえば、通るんですよ。私はそれでやってきました。物書きになれたのは、そういう性格だからだと思うんです。

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佐藤愛子さんの原稿を書く手 ©文藝春秋

 佐藤家っていう家が、そういう家なんですよ。父がそうです。わがままなんです。兄もそうです。おまえ、あんなこと人に対して言うもんじゃないって、たしなめる人がいない。家中がそうだから(笑)。大変ですよ、佐藤家で融和して暮らすのは。

――佐藤さんの父は、作家の佐藤紅緑さん。兄は作詞家のサトウハチローさん。佐藤さんは佐藤家3代を小説『血脈』に著し、2000年に菊池寛賞を受賞した。執筆開始が65歳、終了が77歳。76歳で亡くなった父の「老耄(ろうもう)」も緻密に描写した。また21年に出版した『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』では書き続ける自らをマグロにたとえ、父もマグロだったが70歳を前に筆を折り、普通の「おじいさん」として世を去った、と書いた。

佐藤愛子さんとサトウハチローさん ©文藝春秋

「ピンピンコロリ」で亡くなった兄と姉がうらやましい

 老耄ねー、もうそれ、忘れました(笑)。片っ端から忘れるんですよ、100過ぎますとね。父が筆を折ったのは、戦争とか母の考えとか、私が嫁にいかずにウロウロしていたとか、いろんなことがあった上で現実が決まっていったわけですから。それが人間の人生の難しいところです。

 私も、普通のおばあさんですよ。そんなに特別に力のあるばあさんでも何でもない。他にできることがないから書き続けたので、いわゆる普通のおばあさんとしてできることがあまりないわけですよね。だからやっぱり、変なおばあさんになっちゃう(笑)。

――『血脈』で印象的なのが、佐藤さんの兄と姉がいわゆる「ピンピンコロリ」で亡くなること。ハチローさんは勲三等瑞宝章の伝達式の日に牛肉を口に入れたところで亡くなり、姉の早苗さんはスキー旅行を中止するという電話を友人に入れた翌日、部屋で倒れているのが見つかった。うらやましい。

 私もうらやましいですよ。ほとんどの人がうらやましいと思うでしょう。2人がどうしてそうなったかって、やっぱりわがままに生きてるといいんじゃないですか。