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「ランナーの涙は意味不明」それでも視聴者が『24時間テレビ』のマラソンに感動する理由とは…元テレビマンが語る共感できるコンテンツの作り方

『ありえない仕事術 正しい“正義”の使い方』より #2

2024/03/20
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 実はこの女性アイドル、過去に一度、突如として坊主頭になったことがあったのです。その事件は当時芸能界で幾らか話題になりました。女性アイドルが髪の毛を刈り上げるなどというのは日本においては前代未聞、というのが一般的な価値観でしたし、その坊主頭の様が見方によってはいささか滑稽だったからです。

父は番組の制作陣からは視聴者と見做されていなかった

 さて、この罰ゲームのやり取りの中で、「当該女性アイドルはかつて坊主頭にしたことがある」とは説明されません。その事実については出演者も視聴者も、全員が知っている、という前提で話が進められているのです。もちろん知らない人にとっては意味不明なやり取りになってしまいます。

 ここで明らかになるのは、その番組が一体誰を視聴者として想定しているか、ということ。当該番組に関して言えば、想定している視聴者はテレビ好き、アイドル好き、ゴシップ好きな一部の層となります。テレビを見る機会の多かった私と母親に説明は不要でした。

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 しかし、朝から晩まで働き詰めだった父にとっては珍紛漢紛(ちんぷんかんぷん)だった。父はこの番組の制作陣からは視聴者と見做されていなかった。ゆえに、父がこの番組を楽しむために必要な説明は省かれてしまっていたのです。

 視聴者を笑わせたり、驚かせたり、悲しませたりするには、必要最低限の説明をしなければならない。感情を動かすには適切な助走が必要だ、ということです。しかしながら、説明というものは多くの場合退屈です。ですから、この例のように説明を諦め、特定の層にターゲットを絞り、最短距離で笑いを作る、という判断が出てきます。

(写真=徳間書店提供)

視聴者に必要な情報をどれだけ端的に伝えられるか

 極端な話、ここで例に挙げたくだりで外国の方にも笑ってもらおうとするのであれば、女性アイドルの過去の坊主頭事件のみならず、日本における罰=坊主の習俗や、日本における女性アイドルの立ち位置に至るまで事細かに説明しなければならないかもしれません。そして、その説明に費やされる30秒なり1分なりは、テレビ好きな日本の視聴者にとっては退屈極まりなく、紛れもなくザッピングチャンスとなってしまう。

 制作者にとって肝要なのは、どのような視聴者を想定するか。そして、その視聴者が持っている前提知識をどれだけ正確に見積ることができ、必要な情報をどれだけ端的に伝えられるか、ということになります。

 もう少し汎用性のある例を挙げましょう。

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