文春オンライン
「まる子で売れるまでは、ず~っとコンプレックス」「まる子と一体化されるのはちょっと」TARAKOが乗り越えた“弱音”

「まる子で売れるまでは、ず~っとコンプレックス」「まる子と一体化されるのはちょっと」TARAKOが乗り越えた“弱音”

2024/04/21

genre : エンタメ, 芸能

note

 とはいえ、『ちびまる子ちゃん』で人生が大きく変わったのは間違いない。18年11月16日の「さくらももこさん ありがとうの会」では、こう感謝の言葉を語っている。

「本当に先生がいなかったら、人生変わってたと思う。私、『まる子』で売れるまで、結構つらい生活をしてたんです。ずっとバイトしてたし、声優デビューしてもバイトしてたし、貧乏はお得意だったんですけど……ももこちゃんの声と似てて幸せでした」

歌にこだわっていた彼女に“変化”が…

 歌にこだわっていたTARAKOに大きな変化が訪れたのは90年代半ばのこと。事務所で行う舞台の脚本を書いたのがきっかけで、96年に演劇集団WAKUプロデュースを立ち上げる。それ以来、芝居にのめりこんでいった。

ADVERTISEMENT

 芝居では出演だけではなく、脚本と演出を担当している。もともと脚本と演出をしてみたいという気持ちを持っていた。初めて書いた脚本「NOW UNTIL FOREVER」は、捨てられてしまった人形たちの愛と別れの物語。99年の対談では「最近は芝居。歌う時間があったら1行でも書きたい」と打ち明けている(前掲書)。

 その後、たまちゃん役の渡辺菜生子と演劇ユニットNAO-TA!プロデュースを結成。二つのユニットでの演劇活動はライフワークとなった。『サザエさん』でカツオを演じる冨永みーな、『ONE PIECE』でルフィを演じる田中真弓、『アンパンマン』でばいきんまんを演じる中尾隆聖らも演劇仲間である。

 もっとも最近のWAKUプロデュースの公演は、23年の年末に行われた「something どこにいてもここ」。山村で暮らす家族の恋や幸せや生きることをめぐるオムニバスストーリーだった。28回目となる次回公演は2024年冬に予定されている「マザーズ・イン・ヘヴン2024」。死んだ母親が姿を変えて天国から我が子に会いに来る物語である。

 00年に書かれたコラムの中に、「これからの夢は?」と聞かれたら迷うことなく「脚本を書きたいです」と答えると記されている(『ねんきん』00年7月号)。といっても、すでにこのときまでに12本の舞台の脚本を書いていた。