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のん×高橋幸宏「のんになって変わったこと。人生何があるかわからない」

のん×高橋幸宏 対談 #2

2018/05/09

 のんさんのファースト・アルバム『スーパーヒーローズ』のブックレットを見て、「普通のミュージシャンじゃないよね」とつぶやいた高橋幸宏さん。今年で幸宏さんはソロ・デビュー40周年を迎え、伝説のテクノユニット「YMO」も40周年。

 新幹線に乗って東京に通っていたのんさん、日比谷野音で坂本龍一さんと衝撃的な出会いをした幸宏さん……ふたりが「デビューの頃」について語った。(全3回/#1より続く)。

高橋幸宏さん(右)、のんさん(左)

女優になってからも、バンドの楽しさが忘れられなかった

高橋 ギターは子どもの頃から弾いていたんですよね。

のん はい。地元のアマチュア・バンドをやっているおじさんたちが子供たちに楽器を教えてくれて、小6のときに友達に誘われてバンドを組んで歌ったのが最初です。中学になってからもバンドでいろんな曲をやりました。

――女優になってからも、いつかは音楽をやってみたいという気持ちはあったんですか?

のん バンドがすごく楽しかったというのが忘れられなくて、のんになってから、またバンドがやりたいなという気持ちが新たに芽生えてきたんです。幸宏さんは何歳から音楽を始めたんですか?

 

高橋 16、17歳の高校生の頃に兄の影響もあって、スタジオミュージシャンとしてデビューしたんです。そろそろ音楽活動50周年です。

のん 早いですね!

高橋 高校からエスカレーター式に大学まで進めたんだけど、それがイヤでムサビ(武蔵野美術大学)を受けたら補欠で受かっちゃって、大学に通いながらスタジオの仕事をして、姉がファッションデザイナーだったから洋服の仕事にも興味があって、「Bricks」っていうブランドを立ち上げたり。

のん すごい! 音楽と両立されていたんですね。

高橋 1980年頃は原宿の表参道に石を投げると、コピーライターか、スタイリストか、ヘアメイクか、デザイナーにあたると言われていたんです。今よりお店も全然少なかったけど、そんなカタカナ職業を目指して上京する人がたくさんいたんです。今思えば夢があったんだよね。

 

――YMOが日本中でブームになった頃でもありますね。

高橋 そう。1980年くらいを境に音楽シーンも急激に変わり始めて、のんちゃんの好きな忌野清志郎のRCサクセションも元々はフォークバンドだったんだけど、見た目も音楽性もガラリと変わっていった。

のん 私はその頃からのRCをYouTubeとかで観て、清志郎さんが大好きになったんです。自由で、おもしろくて、かっこいいって影響されて。