若き日の衣笠祥雄さんはカープファンから忘れられない言葉をかけられたそうだ。前人未踏の2215試合連続出場を果たした「国民栄誉賞」のヒーローは、引退から四半世紀以上経っているのに昨日のことのようにありありと振り返った。
 
「僕、こたえるひと言をいただいたことがあるんです。『本当は、自分がグラウンドでプレーしたいんだ。でもそれがかなわないから、代わりにあなたを応援している。だから、頑張ってくれ』と。原爆投下からわずか4年で設立し、市民が募金で守り抜いたチーム。ファンも熱いんです。だから、そのファンの気持ちに応えられる姿をグラウンドで出さなきゃいけない。ファンの代表として僕はプレーさせてもらってるんです。真剣に、目を見て言われました。わがまま言ったり浮かれたりしてはいけないなと思いました」

 インタビューなのにしばらく次の質問が出て来なかった。不覚にも涙が出そうになる。本当に衣笠さんはそう思って生きてきたのだ。そんな人生上の宝物を惜しげもなく初対面のライターに話してくれた。

 だから12年連続全試合出場の日本記録も、ルー・ゲーリックを上回る世界一の2215試合出場も、衣笠さんご自身の意識の上では自分だけが成し遂げたものじゃないそうだった。ファン代表がファンと一緒に達成したというイメージだ。僕はカープファンは幸せだなぁと思う。同じ時代にプロ野球ファンでいられた僕も幸せだなぁと思う。

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4月23日夜、上行結腸がんのため死去。71歳だった ©文藝春秋

『江夏の21球』の名場面

 スター中のスター選手だというのに自分のことよりも他人、一人のことよりもみんなを先に考えるタイプだった。1979年の日本シリーズ、伝説の『江夏の21球』の名場面がまさにそうだ。3勝3敗で迎えた第7戦、9回裏、4対3でリードした広島のマウンドには守護神・江夏豊。しかし土壇場で近鉄が無死1、3塁と攻め立てる。このとき、広島・古葉竹識がブルペンに北別府学を向かわせた。見れば池谷公二郎も投球練習をしている。抑えの切り札・江夏はプライドを傷つけられる。ここまで来てまだ信頼されてないのか。

 我を失っている間に無死満塁になった。絶体絶命。そのとき、ファーストを守っていた衣笠さんがマウンドに歩み寄り、言葉をかける。「俺も同じ気持ちだ。ベンチやブルペンのことなんか気にするな」。僕は江夏豊氏にこのときの気持ちを尋ねたことがある。絶対絶命のピンチだけど一人じゃないんだ、嬉しかった、救われたと思いました。伝説の投手はそう語った。そのひと言から快刀乱麻のピッチングが始まったのだ。