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元ソフトバンク・森本学さんの第二の人生 介護の道を選んだ理由

文春野球コラム ペナントレース2018 対戦テーマ「学ぶ」

2018/06/14

 あれは5月。試合前のグラウンドで懐かしい声が耳に飛び込んできた。

「おーい、アキラ。アキラ~! ちょっとこっちに来て、この子らと一緒に写真に写ってくれへん?」

 滅多な事では笑わない中村晃が観覧スペースの方を振り向くと、ちょっと嬉しそうににんまりと表情を崩していた。松田宣浩、柳田悠岐、今宮健太といった面々も声をかけられてはそこへスタスタ近づいていく。

「お久しぶりです。マナブさん」

「マナブちゃうで、サトルや!」

 そのたびに繰り返される、このボケとツッコミもまた懐かしかった。

 ホークスOBの森本学(もりもと・さとる)さんがヤフオクドームを訪れていたのだ。7年前、33歳の時に引退。ホークス一筋で9年間プレーして一軍通算375試合に出場。打率.234、1本塁打、52打点は目を見張る数字ではなかったが、内野はどこでも守れるユーティリティプレーヤーとして重宝された。

内野のユーティリティプレーヤーとして7年前までホークスでプレーしていた森本学

引退後は福祉事業を経営

 野球のプレーよりと言ってしまうと失礼だが、明るく気さくな人柄で人気を集めた選手だった。「ヨソ者が抱く大阪生まれのイメージ」そのままのテンポの良い喋り口調で、ちょっとした一言でも笑いを巻き起こす。なかでも名前ネタは鉄板で、そこには年上も年下も関係ない挨拶代わりのようなもの。イジりもするけどイジられる。チーム一の愛されキャラだった。

 そんな森本さんの現在は「社長」になっている。

 地元大阪に戻り、引退した翌年2月には「株式会社フォレストブック」を設立した。介護・福祉を主な事業としており、デイサービス施設やケアプランセンター、リハビリ特化型デイサービス施設を次々とオープンさせている。また、福岡でも障がいを持つ子どもたちの「余暇活動」支援を行っている。この日はその一環で、ホークスの大ファンだという10代の女性2人の野球観戦をサポートするためにヤフオクドームを訪れたというわけだ。

 たくさんのプロ野球OBを知っているが、デイサービスなどの福祉事業を経営している方を他に知らない(※1)。かなり特殊な『セカンドキャリア』だと言っても大袈裟ではない。

 そのワケや、第2の人生の生き甲斐などを大いに語ってもらった。

森本さんが経営しているデイサービス施設にて

――なぜ、介護の道に?

「実は30歳を過ぎたくらいから『次の道』は考えていたし、野球以外のことに携わろうと決めていたんです。プロ野球選手の引退後って、そのまま指導者になる人や解説者のような一部の人以外はまるで名前を聞かなくなる。でも、プロ野球選手にまでなった人は、他の世界でも上手くいくはずと考えていました。

 野球はチームプレー。それにプロ野球に入るまで、そしてその世界で生きていくために『気づき』が絶対に必要なんです。アマチュア時代は主砲でならしたヤツがプロでは右打ちしたり、バントを一生懸命練習したり。それって一般社会で生きていくうえでも役に立つはずなんです。

 介護の道を選んだのは、おじいちゃんの存在が大きいかな。僕が小学校の時に脳梗塞で倒れて半身不随になってしまい、在宅介護で家に居たんです。だから介護というものが身近にあった。でも、自分はずっと野球ばかりやっていて、大阪桐蔭高校も今ほど強豪じゃなかったけど野球漬けだったし、大学は府外の福井工業大学に進んだ。社会人のシダックスも東京のチーム。結局おじいちゃんに何もできないまま、プロに入ってしばらく経ってから亡くなってしまった。小さな頃はおじいちゃんっ子だったんでね。それが今の世界に興味を持ったきっかけにはなりました」

 開業当初は「ほぼ全員に反対されたし、失敗すると言われ続けた」という。「だけど、勝負する前から、なんで負けると思ってやるんや」とプロ野球の世界で生き抜いた持ち前のガッツが生きた。