2016年のドラフト会議で、ホークスは田中正義投手を5球団競合の末に1位で獲得しました。しかし、その直前まで鷹のドラ1候補として田中投手とともにスポーツ紙などで報じられたのが、古谷優人投手(北海道・江陵高校)でした。

 最速154キロの直球とスライダーが武器のサウスポー。投げる球がスゴイのはもちろん、打者に向かっていく強気のピッチングがとても魅力的です。甲子園出場こそないものの、同年ドラフトのトップ左腕との評価を得ていました。結果、ドラ2でホークスへ。

 高卒1年目だった昨年は、シーズン最終戦で一軍初昇格を果たしました。登板がなかったのは残念でしたが、私たちファンだけではなくチーム内からの期待値の高さも感じさせます。

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 2年目の今季はオープン戦だったけど一軍のマウンドに立ちました。3月24日の広島戦では勝利投手にもなりました。惜しくも開幕一軍には手は届かなかったけど、“上の世界”で戦うための課題を見つけたと前を向きました。意識高く、黙々と上を目指す姿を見て、古谷投手の本当の一軍デビューの日はそう遠くないんだろうなと楽しみにしていました。

 しかし、予期せぬ苦しい日々が待っていました。これまではさほど悩んだことがなかったという制球面で大きな壁に直面したのです。

1軍登板デビューを目指す2年目左腕・古谷優人

「指のことは言い訳にしたくない」

「今までは多少調子が悪くてもだいたいゾーンに投げられていたのに」

 自信があったスライダーでさえカウントがとれなくなったことで、持ち味のはずの強気のピッチングも発揮できなくなり、二軍戦でもフォアボールを連発。マウンドでの表情やしぐさは、昨年までとはまるで違って見えました。今季のホークスは特に投手陣に故障者が多く、若手にとってはチャンスでした。

「もちろん分かっています。それなのに……。野球でたまったイライラは、野球で返すしかないですね」

 あえて、自分自身にプレッシャーをかけるように話してくれました。やっぱり強い子だなと、私もホッとして次の試合を見届けにいきました。しかし、そこでもまた結果が出ませんでした。

 じつは古谷投手。昨年の秋に“胸郭出口症候群”という症状が発覚したのです。手術すべきか、それとも……。古谷投手の決断は、保存療法で病気と付き合いながら戦うことでした。しかし、試合中でも指先の感覚がなくなり、痛みを伴うなど、投手として致命的な症状が今も出ている状況です。それでも、古谷投手は言います。

「指のことは言い訳にしたくないし、もう向き合うって決めたんで! 何にも気にしていません」

 古谷投手やチームの周りの方の話を聞いていると、不調の原因はここにあると感じてしまいますが、本人は、それを制して結果を出すのが“プロ”だと感じているようです。そして、もがき続けてきて、ようやく光が……。

野球人生で一番集中した二軍戦

「野球人生で一番集中しました」

 古谷投手がそう振り返ったのは4月29日のウエスタン・中日戦。5回2安打無失点の好投で、二軍戦とはいえ今季1勝目を手にしたのです! 与えたフォアボールは1つだけ。悩んできた制球面を克服して、復調への道のりを確かに歩み始めたのです。

「今後、もうあんなに集中してやることは出来ないんじゃないかってくらい集中して投げたので、疲れました……」

 少しホッとした笑顔を見せてくれた古谷投手。この時ばかりは19歳らしさがにじみ出ました。

 好投できた理由について「スキを作らなかった」ことを挙げました。

「打者一人一人に集中して、ずっと気を張っていました。自らの投球で流れを作ったとしても、その流れに乗るのさえ怖かった。自分を調子に乗らせないためにも『全部たまたま』と思うようにして、気持ちを切らさないように集中力を保ちました」

 MAX150キロ、平均でも140キロ台後半をマークしていたこの試合でも、途中、指先の感覚がなくなってしまい、4回以降から140キロ台前半しか出なくなってしまいました。それでも「集中しすぎて気になりませんでした」と無邪気に笑った古谷投手。今季一の晴れやかな可愛らしい表情でした(笑)。

 そして、もう一つこの復調にはキッカケがありました。