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門井 慶喜
2016/02/23

生活史的な観点から昭和史に迫る

『天皇陛下の私生活 1945年の昭和天皇』 (米窪明美 著)

source : 週刊文春 2016年2月18日号

genre : エンタメ, 読書

 週刊誌の読者諸君、けさは髭をそりましたか。ネクタイは曲がってませんか。

 ここにひとり、身なりに無頓着な男がいる。

「洗面所に入った天皇は1人で、嗽(うがい)、洗顔などの身支度をする。髭は濃い方なので念入りに手入れしなければならなかったが……よく剃り残しがあった」

 髪の毛はブラシでなでつけて終わり。ネクタイはしょっちゅう曲がっている。見かねて奥さんがなおす日もあるというから彼は特別な人ではない。ありきたりの、私たちとおなじ中年男なのだ。

 近代宮廷の研究家・米窪明美の新刊『天皇陛下の私生活』は、こういう面から昭和天皇にアプローチする。あつかうのは一九四五年一月から十二月。日本がもっとも政治史的だった一年間を、もっとも生活史的にみつめようという優雅な野心作なのだ。

 そこにあらわれる昭和天皇は、ふしぎと中間管理職っぽい。一メートルの書類の山に辟易し、事が起これば部下をあつめて意見を聞く。ときには庭の野草に心なぐさめ、娘や息子へ思いを馳せる。あの歴史的な玉音放送も、ほんとうはこうした勤め人的日常の延長線上にあるのかもしれないのだ。

 この本はたぶん、四十年前に書かれていたら袋だたきに遭っていたろう。戦争の大局は書いてないし、天皇制への反省もない。何たる思想的不誠実かと。

 こんにちでは長所である。たとえば皇后のこの存在感! 夫のネクタイをなおしてやり、息子に「B29は残念ながらりっぱです」などと手紙を書き、空襲警報が発令されてもゆっくり着がえて夫を待たせる。こういうあっけらかんとした人がどれほど家族にとって救いになるかは、あの思想的に誠実な書物群からは肌で感じられないのである。

 その意味では、この本は、平成の世であればこそ生まれ得たといえる。元気が出る敗戦の本。戦争を知らない世代には、知らないなりの昭和史があるのだ。

よねくぼあけみ/1964年東京都生まれ。学習院女子中・高等科で非常勤講師として作法を指導。NHK『坂の上の雲』において宮廷関係の歴史考証に携わる。著書に『明治宮殿のさんざめき』『島津家の戦争』など。

かどいよしのぶ/1971年生まれ。2006年『天才たちの値段』で単行本デビュー。16年『家康、江戸を建てる』が直木賞候補に。

天皇陛下の私生活:1945年の昭和天皇

米窪明美(著)

新潮社
2015年12月18日 発売

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