年季の入った白いタイルで覆われた洋館は、夏のこんな強い日差しのなかにあってもどこか涼しげに目に映る。戦前に建てられ、もとは個人の邸宅だった建築はいま、現代美術専門の美術館として使われている。あらゆるミュージアム施設を見渡して、東京で最も居心地がいいのはここ、原美術館だろう。

 

 重厚かつ繊細な同館の雰囲気を、いっそう引き立てる展覧会が開催中だ。「小瀬村真美:幻画〜像(イメージ)の表皮」展。

美しいイメージのためなら何だってする

 原美術館の内側は、いくつもの小さめな展示室に分かれており、それぞれに小瀬村真美の初期作から最新作までが配されている。どの部屋も、以前からずっとこうして彩られていたんじゃないかというほど、空間と作品が溶け合っていて驚かされる。

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《餐》(部分)2018年

 小瀬村が創り出すのはいつも、絵画とも写真とも映像ともつかぬ作品。絵筆で描いたのか撮影されたものなのか、遠目にも近くへ寄ってもわからぬことが多いし、静止画と思って眺めていてふと、「これ動いてる!」と気づきおののくこともしばしば。

 実際、たくさんの技法を織り交ぜてつくられていくので、どのジャンルに属する作品なのかはよくわからない。たとえば初期作品《薇》で彼女がまずしたのは、果物やコップや机を用いてオブジェを組み上げること。17世紀の画家スルバランによる静物画《オレンジ、レモン、水の入ったコップのある静物》を、忠実に再現していく。

《薇》2003年

 次いで、そのオブジェを撮影する。1枚だけじゃない。数時間ごとに幾日も、同じ角度と距離からシャッターを切り続ける。オブジェは当然、徐々に朽ちていく。その様子を収めた膨大な写真データは、小瀬村によって加工変形されつつ、繋ぎ合わされて動画へと生まれ変わる。

 なんとも複雑な過程を経て、ようやく人の目に触れる作品ができ上がるわけだ。これではジャンル分けなどしようもないのは当然だし、名付けたってとくに意味はない。欲しいのは静謐で、かつ動的な美しいイメージ。それを得るためならば、小瀬村真美は何だってするのである。