今年春。それまで破棄されたと言われていた自衛隊のイラク派遣部隊日報が「発見」された。
しかし、文書があまりに膨大だったため、日報の取り上げられ方は様々なものが見られた。例えば、多くのマスコミが注目したのは、「戦闘」記述の有無や回数であったし、ネット上では各地に派遣されているLO(連絡要員)が日々の出来事を綴った日誌が「ほのぼの」した内容だと話題になるなど、その焦点は様々だった。
日報にはまだまだ論じるべきところは多い
最初に公開されたイラク復興支援群の日報は370日分、14,141ページにも及ぶ膨大なものだ。日報についての記事を担当した朝日新聞記者のツイートを見ると、チーム制で分担して読み込んだことがうかがえるし、おそらく他のメディアも同様だろう。大組織ならではの人的リソースを活かしたスピーディーな記事化。まさにマスメディアだ。
対して、フリーランスのぼっちライターである筆者はスピード感を諦め、地道に全部読むことにした。公開された日報を1人で把握することで、見えてくることもあるだろうという希望的観測に基づいたものだが、目の疲労と引き換えに意外と成果があったと思う。報じられたこと、話題になったこと以外にも、日報にはまだまだ論じるべきところは多いと感じているし、これを研究材料にする研究者も今後出てくるだろう。
さて、イラク復興支援群の日報を全て読んだ後、筆者が最初に抱いた感想は「黒塗りが黒塗りの体を成していない」という懸念であった。膨大な日報には様々な切り口があるが、今回は黒塗りについて論じていきたい。
黒塗りの意味を成していない黒塗り
報道に接した方、あるいは実際に日報を見た方はご存知と思うが、公開された日報には多くの黒塗りが存在する。黒塗りについて批判的な論調もあるが、筆者自身は情報保全のため、さらに安全のためには必要な措置と考えている。
東京外語大学の篠田英朗教授も、「イラク日報の"黒塗り"はまだ不十分だった」(プレジデントオンライン)の中で、公開された日報の黒塗りが不十分であり、隠すべきセンシティブな情報が明らかなままにされていることが多いのを指摘している。ただ、筆者はもっと重大な問題が日報にはあると考える。黒塗りしている部分でも、何が書かれているのか、分かってしまう例が多いのだ。