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ロッテ・井上晴哉を育てた“父の鬼ノック”と“母のすごい料理”

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/08/10

「7月の月間MVPを受賞した記念にぜひどうぞ」と梶原(紀章)広報に勧められて、人生で初めて文春にてコラムを書く事になりました。千葉ロッテマリーンズ内野手の井上晴哉です。7月は20試合に出場をして打率・4割(28安打)、7本塁打、23打点。自分の誕生月である7月にこのような成績を残し、MVPを初受賞することが出来て、本当に嬉しく思っています。ちなみに先月の受賞者はチームメートの角中勝也外野手。ロッテの野手で2カ月連続でMVPを受賞したのは自分が生まれるはるか前の1980年の5月レロン・リー、6月レオン・リーと聞いて、ビックリしました。

 この喜びを誰に伝えたいかと記者会見でも聞かれましたが、やはり両親だと思います。1989年7月3日に5300グラムの健康な体で産んでくれた母。そしていつも野球の練習に付き合ってくれた父に感謝をしたいと思います。

パソコンに向かうアジャ井上 ©梶原紀章

父親からのスパルタ教育

 自分は4人兄弟の末っ子。一番上の兄は14歳も年上で、姉が2人います。兄は社会人まで野球をやっており、自分が幼稚園に入るか入らない頃にはもう高校生。高校球児として頑張っている姿に憧れ、自分も気が付いたらボールを握り、バットを振っていました。兄は高校で4番投手。まだ3歳ぐらいの時に兄の野球の手伝いをさせられ、キャッチボールの相手もしていました。兄いわく「130キロは出ていた」というストレートを3歳の自分はキャッチしていたとのことです。ウソのような本当のような話で、家族全員が集まるとよくこの話をして「あれを見てこの子は野球のセンスがあると思った」と言われます。

 兄が大学進学後は父のスパルタ教育は自分に向けられました。家のあった団地の近くの空き地で日が沈むまでノックを打ってもらったのをよく覚えています。それこそ周りが見えなくなるまで延々とノックを受けました。日が沈んで周りが見えなくなる時もありましたが、ほとんどは自分の涙で見えなくなっていました。当時の自分は本当に甘えん坊ですぐに泣いては父に「メソメソするな!」と怒られていました。その性格が変わったのは一人、広島を出て東京に行った大学時代だと思います。それまでは本当に弱くて、なにかあるとすぐに泣いていました。

 話を戻しますが当時は辛い思い出だった父の鬼ノックですが、今、このようにプロ野球の世界で一塁手を務められているのは間違いなく当時の経験が生きていると思います。よく一塁手はハンドリングという言葉を使いますが、自分のハンドリングは父に叩き込まれたものです。「体より右は逆シングル!」と口酸っぱく言われ、質よりも数のノックを受けて覚えていきました。今でも連絡をもらって発破をかけられたりします。